福沢を謹慎からひっぱり出す<小人閑居日記 2003.5.27.>
中島三郎助について、もう一つ。 福沢は二度目のアメリカ行きで、軍艦受 取委員長の小野友五郎にたてついて、帰国後の慶応3(1867)年7月謹慎 を命じられた。 福沢が大量の洋書を買い込むのを見て、小野が幕府でも洋書 を買って帰り、それを売りさばいて公儀のご利益にしたいと、福沢にその買い 入れ方を命じたのに、福沢が「政府が商売をするのか。 政府たるものが儲け 仕事をするというなら、私もその間で思うさまコンミッションを取るがどうか」 と、ねじこんだのを始め、事あるごとに官僚風を吹かせる小野に当ったからだ った。
福沢が引っ込んでいると、だんだん時勢が切迫してきて、ある日、中島三郎 助がやってきた。 事情を聞き「ソリャアどうもとんだことだ、この忙しい世 の中におまえたちがひっこんでいるということがあるか、すぐ出ろ」「出ろった って、出さぬものを出られないじゃないか」「よろしい、拙者がすぐに出してや る」と言い、その時の老中稲葉美濃守正邦のところへ掛け合いに行ってくれて、 再び出ることになった、と『福翁自伝』にある。
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