文耕、村抜けしてきた駕籠訴人二人を匿う
2024-09-30


文耕は、おまえたち立者百姓の敵は誰なのだ、たとえば、黒崎某とか、と訊ねた。 秩父屋の話では、黒崎佐一右衛門という用人格の人物の検地は陰湿で意地が悪く、その検地から騒動のすべてが始まった。 黒崎は、金森藩が年貢の取り立て方を変えるに際して召し抱えられた農政の専門家で、領内の村を巡検すると、密かに広げられた田畑の摘発が巧みで、百姓たちはその眼の鋭さに恐怖を覚えた。 百姓の手管をよく知っていて、どうやら出が百姓で士分に取り立てられたかららしかった。 文耕が、憎しみを抱いたのかと訊くと、憎むというより、卑(いや)しい方だと。 「それは土から離れてしまったからだな、土を相手に生きていれば、貧しくとも卑しい者にはなるまいと文耕が言うと、二人は「なぜ、そのようなことを」と驚く。 二年余り、阿波の園木家で百姓同然の日々を過ごした、そこには士分の時にはなかった、地に足をつけて生きることの確かさがあったと話した。 その話が心を開かせることになったのか、喜四郎は郡上の百姓の困難について語り始めた。

 駕籠訴から二年待ったが、訴えを取り上げてもらえる望みがなくなった、もし追訴がうまくいかなければ、もはや江戸に潜んで、箱訴しかないのではないか、と言う。 箱訴とは、八代将軍吉宗が設けた目安箱に上訴の書状を投函することだ。 二人は村抜けをして来たので、箱訴をするまで、訴えが取り上げられるまで、金森藩の手に落ちたくない、もとより駕籠訴のときから命は捨てているが、無駄に死にたくはない、と。 文耕は、「おまえたちが、もういいと思えるまで、私が匿うことにしよう」、なぜ助けてくれるのか訊かれ、ふっと笑って「ただの、酔狂」。

 「ただの、酔狂」ではなかった、文耕は、まだ落着していない争いの中心近くにいる者から直(じか)に話を聞いていることに、自分でも意外なほど強い興趣を覚えていた。 秩父屋によれば、喜四郎と定次郎を金森藩の手から守ることは、この争いの帰趨を決するほど重要な意味があるという。 二人を匿う危険を冒すことは、底の知れない沼に似たその争いの渦中に自ら飛び込んでいくということでもある。 文耕は、久しく覚えることのなかった血のたぎりのようなものが、躰の奥底から生じてきそうに思えてならなかった。


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