駕籠訴から二年待ったが、訴えを取り上げてもらえる望みがなくなった、もし追訴がうまくいかなければ、もはや江戸に潜んで、箱訴しかないのではないか、と言う。 箱訴とは、八代将軍吉宗が設けた目安箱に上訴の書状を投函することだ。 二人は村抜けをして来たので、箱訴をするまで、訴えが取り上げられるまで、金森藩の手に落ちたくない、もとより駕籠訴のときから命は捨てているが、無駄に死にたくはない、と。 文耕は、「おまえたちが、もういいと思えるまで、私が匿うことにしよう」、なぜ助けてくれるのか訊かれ、ふっと笑って「ただの、酔狂」。
「ただの、酔狂」ではなかった、文耕は、まだ落着していない争いの中心近くにいる者から直(じか)に話を聞いていることに、自分でも意外なほど強い興趣を覚えていた。 秩父屋によれば、喜四郎と定次郎を金森藩の手から守ることは、この争いの帰趨を決するほど重要な意味があるという。 二人を匿う危険を冒すことは、底の知れない沼に似たその争いの渦中に自ら飛び込んでいくということでもある。 文耕は、久しく覚えることのなかった血のたぎりのようなものが、躰の奥底から生じてきそうに思えてならなかった。
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