江渕崇さんの「アナザーノート」「働く尊厳軽んじたツケ 世界の危機」は、今日84歳になった、私にドスンと響いた。 私は『学問のすゝめ』の福沢諭吉の、慶應義塾大学経済学部を卒業した。 大手の銀行員生活を少々経験した後、家業の零細なガラス工場で長年働いた。 「世界の危機」を考える上で、私が経験したことと関係することが、あれこれ指摘されていたからである。 これをお読みの、友人・知人の皆様は、共通の体験をされた方もいらっしゃるので、ご意見をお寄せ頂きたい。
まず、社会の分断の問題だ。 「エリートが自分たちを見下し、日々の仕事に敬意を払っていないという労働者の不満や憤りが、トランプの成功の根本にあります」、お金だけでなく、名誉や承認、敬意の欠如、つまりは「尊厳」をめぐる問題があるというマイケル・サンデル教授の指摘だ。 一方、困難に打ち勝つには、大学で学位を取り、高給の仕事にありつくこと――。 民主党主流派やリベラル派が発したのは、個人の上昇志向と社会の流動性に解決を求めるメッセージだった。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』。 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」、されど人間世界を見渡すと、「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。」 「人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤て物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」 「学問とは、唯むずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云うにあらず。」 「専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、イロハ四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進て学ぶべき箇条は甚多し。」 地理学、究理学、歴史、経済学、修身学。 「右は人間普通の実学にて、人たるものは貴賤上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に士農工商各その分を尽し銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。」(初編)
「信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し。」 「文明の進歩は、天地の間にある有形の物にても無形の人事にても、その働(はたらき)の趣を詮索して真実を発明するに在り。」 「事物の軽々信ずべからざること果して是ならば、亦これを軽々疑うべからず。この信疑の際に就き、必ず取捨の明(めい)なかるべからず。蓋し学問の要はこの明智を明(あきらか)にするに在るものならん。」 「異説争論の際に事物の真理を求るは、猶(なお)逆風に向て舟を行(や)るが如し。その舟路を右にし、又これを左にし、浪に激し風に逆い、数十百里の海を経過するも、その直達の路を計れば、進むこと僅に三、五里に過ぎず。航海には〓(しばしば)順風の便ありと雖ども、人事に於ては決して是れなし。人事の進歩して真理に達するの路は、唯異説争論の際にまぎるの一法あるのみ。而してその説論の生ずる源は、疑の一点に在て存するものなり。疑の世界に真理多しとは蓋し是の謂(いい)なり。」(十五編)
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