2025-06-29
NHK Eテレに歴史居酒屋『知恵泉』という番組があって、3月25日に放送されたという「「遠回り」に込めた生き方 やなせたかし(1919〜2013)」を、再放送で見た。 店主は五代目という高井正智アナ、お客は漫画家の藤田和日郎(かずひろ)さん(「うしおととら」、「月光条例」)、朝ドラ『あんぱん』で弟・千尋を演じた中沢元紀さん、ノンフィクション作家の梯久美子さん。 梯久美子さんの『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)を参照しながら、書いてみたい。
テーマはこうだ。 「やなせの人生は苦難の連続。戦争では中国大陸に出征、飢えにさいなまれ、また弟は戦死。こうした戦争体験は、その後の作品に色濃く反映されていく。漫画家としてヒットの出ないやなせは、さまざまな仕事を引き受けることに。舞台美術、ラジオの構成作家、さらには司会者も。便利屋のように見えるが、本人はどんな思いだったのか。やがて満を持して『あんぱんまん』を送り出すが、酷評の嵐。それでも描き続けたやなせの知恵とは?」
やなせたかしの「知恵 その一」「楽しみながら 人を助けていこう」
戦争の悲惨を経験しながら、なお、光を向いている、生きることを肯定する。 売れないとき、やなせは何でも引き受け、「困った時のやなせさん」と、言われた。 藤田和日郎さんは、漫画家らしい純粋ないい人で、やなせは「相手の意見を聞く」と解釈した。
漫画は、やなせの描く四コマ漫画から、手塚治虫を筆頭に長編漫画が主流になっていった。 自分が世の中から必要とされていないという思いに、押しつぶされそうになった。 そんな、ある夜、懐中電灯に手のひらをかざしてみて、一篇の詩が生まれた。
ぼくらは みんな生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらは みんな生きている
生きているから かなしいんだ
てのひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血しお
みみずだって おけらだって
あめんぼうだって
みんなみんな 生きているんだ
ともだちなんだ
この時から8年、1961(昭和36)年、42歳になったやなせは、「困った時のやなせさん」で知り合った人々に支えられることになる。 「てのひらを太陽に」と題したこの詩には、いずみたくによって曲がつけられ、宮城まり子が歌った。 翌年、NHK「みんなのうた」で放送され、ボニージャックスが歌ったレコードがヒットする。 小学校の教科書にも採用され、知らない人はいないほど有名になったこの歌は、やなせがもっともつらい時期に、自分をはげますために書いたものだった。
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