2025-07-05
巻末の解説で、作家の上田秀人さんが指摘しているように、伊藤若冲は終生未婚だったと言われてきた。 未だ、若冲が独身だったか、妻帯者だったかはわかっていない。 若冲のことを記した記録に妻という文言は出てきておらず、結婚した記録も見当たらない。 しかし、この小説『若冲』で澤田瞳子さんは、お三輪という妻がいたことにした。 そこに、京都・高倉錦小路の青物問屋「枡源」の長男、源左衛門の名を継いだ若冲が、生涯絵を描くことになった動機を据えたのだ。
澤田瞳子さんは、京都府生れ、同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士課程(前期)修了。 この小説で、昨日、見たように沢山の人物と事件をちりばめて、江戸時代の京都の町の中で動かしていく。 そうした史実が、想像によってふくらませた、この物語をしっかりと支えている。 小説家というものは、とりわけ澤田瞳子さんは、すごいものだと、あらためて感心した。
「枡源」の主、源左衛門は、京の商家の例に洩れず、深い店奥にある、奥庭を見下ろす南向きの二階の八畳間に寝起きし、閉じこもって、絵を描いている。 膠を煮て、顔料を作る手伝いをしているお志乃は十七歳、四十歳の源左衛門とは父娘ほど年が違うが妹だ。 ただお志乃は、先代源左衛門の妾の子、先代はお志乃が産まれる前に亡くなり、母も彼女が十の秋に死んで、困った叔父夫婦が半ば無理矢理、姪のお志乃を枡源に押しつけたのだった。
お志乃は、長兄がいつからこの部屋に閉じこもって絵を描いているのか、はっきりとは知らない。 家督を継ぐ前からだとも、嫁を娶った直後からとも店の者は言うが、少なくとも七年前、お志乃が枡源に引き取られた時にはすでに、源左衛門はこの二階間で描画三昧に暮らしていた。 商いを任せられている次兄の幸之助と三兄の新三郎が、そんな長兄を苦々しく思っているのは承知していた。
源左衛門は、一日のうち幾度も、二階の八畳間から見える土蔵に目を向け、そのたびに深い井戸の底を映したような、まるで死んだ魚の目みたいな、目付きになるのだった。 兄たちや、その母、義母のお清が教えてくれたわけではないが、お志乃はちゃんと知っていた。 源左衛門の妻であったお三輪は八年前、あの蔵で首を吊って死んだ。 もともと絵を趣味としていた源左衛門はそれ以来、土蔵の見える一間に引きこもり、画布だけに向き合って日をすごしているのだ。
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