父が死んだのは、平成7(1995)年11月7日のことだったから、ちょうど十年 になる。 5日の午後、三田で福澤諭吉協会の読書会があったので、その前に 魚籃坂に近いお墓に寄った。 土曜日で父の母校である隣の御田小学校からは 子どもたちの賑やかな声が聞こえていた。 墓の上のハゼはまだあまり紅葉し ていなかったが(家の庭のハゼは紅葉の最終段階)、椎の実だろうか、黒っぽい 少し太めのどんぐりが沢山落ちていた。 お寺から幽霊坂を下りて、学校まで 歩いて行った。 上天気、少し汗ばむほどの距離だ。 途中のお寺が、ど派手 な霊園建築を建てていた。 ラーメン二郎には長い行列が出来ていた。
帰りがけ秋色庵大坂家で「里のもち」を求める。 包み紙に「玄米粉を利用 しまして、素朴な味を出し、その上を山帰来の葉で包んでみました」とある。 「山帰来」、どこかで聞いたことがある。 そうだ「おかふい」の「生薬屋やっ と聞き取るひゃんきらひ」ではないか。 こんなに早く、ひょんなところで山 帰来。 『広辞苑』をみる。 山帰来・山奇量、ユリ科の多年生蔓性低木。中 国・インドなどに自生。サルトリイバラに似るが、とげがない。葉は長楕円形、 三縦脈がある。根は生薬で土茯苓(どぶくりゅう)・山帰来といい梅毒の薬とす る、とある。 日葡辞書に「サンキライヲノム」とあるそうだ、日葡辞書は慶 長8(1603)年の刊行、その頃も梅毒があったことになる。
お菓子「里のもち」を包んだ塩漬けの葉は、柏の葉より厚めで、三縦脈が葉 の先端で一点にまとまるので、普通の木の葉の形の、外側両方にまた葉肉があ る楕円形になっている。 原材料として、新粉、小豆、玄米粉、砂糖、白玉粉 とあり、黒っぽい餅が餡をつつんである。 山帰来の葉で挟んだ形といい、味 といい、じつに素朴を絵に描いたようなお菓子だった。
セコメントをする