17日の日曜日、鎌倉極楽寺の成就院で第10回の紫陽花ゼミがあった。 紫 陽花ゼミの何たるかは、昨年6月25日の「等々力短信」第964号「第9回 の紫陽花ゼミ」に書いた。 ゼミでご指導いただいた小尾恵一郎先生の法事を 兼ねたOB会である。 先生の歿後、いつまでもOB会が盛んなのを、ほかの 計量経済学の先生方がうらやむと聞く。 今年の成就院は沿道の整理をしたと かで、アジサイだけは今一つだった。
冒頭、芙佐夫人が古い『三田評論』で見つけた先生の文章を読んでくださっ た。 1974年5月号「幼稚舎100年」の特集で、昭和15(1940)年幼稚舎6 年K組小尾恵一郎「級友」という作文と、われわれが卒業して十年後、1974 年の先生の「子供の夢と独立自尊」という文章である。 奥様は、すずめ百ま でというけれど、もし生きていたら、30年たった今日でも、同じことを言って いるだろうと思われたので、読むことにしたとおっしゃった。
さわりを引用する。 「義塾の風は独立自尊にあるという。各人が事物や行 動を判断する際に、絶対的な一つの基準を設け、またどういう外的権威であれ、 この基準に合わぬものは一切権威を認めないというのが独立自尊の意味とされ る。塾祖福澤諭吉はこの絶対的基準を、文明の進歩という目的にかなうか否か の点に置いている。とすると、自己の行為の意味を、文明進歩への先導的貢献 という尺度にてらして問いつづけること、その意味で、独善におちいらぬ責任 ある目的意識を高揚することが建学の精神だともいえよう。ところが建学の精 神は凍結気味のようである。」 その凍結を解くためには「何が責任ある目的意 識であるかを判別することと、その判別の基準になる文明の進歩とは何かを考 える機会が必要になる。」それには「文明の本旨と進歩の条件を体系的に説いた 『文明論之概略』を素材にして考えさせるのが、学生に受け入れやすいように おもわれる。」 「『福翁自伝』での話の中には普遍と特殊が、ない交ぜになっ ており」「特殊性、つまりお稲荷様のお札を捨ててばちが当たるか試したりする など有名な事蹟の数々は、福澤諭吉の生きた時代もさることながら、生来の天 才的個性の所産で、通常の人に縁遠く映るのも不思議ではない。そういう特殊 側面を塾祖であるというだけの理由からこと挙げし、また真似ようものならお よそ非福澤的でもあろう。現代人にとって、独立自尊の原則は、これと反対に 普遍性をもっている。であるから、建学の精神の凍結を解くとすれば、塾祖の 中の普遍と特殊の弁別が一つの鍵になろう。」
頭から一つどやされて、大きな宿題を出されたような気がした。
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