中原徳子さんが俳句を始めたのは26歳の時で、都立光明養護学校の小学5 年のクラス担任だった由里雪二氏が創刊した俳誌『からまつ』に入会、同人と なった。 それから十年たった1994(平成6)年、大きな不幸が次々徳子さん を襲う。 ずっと徳子さんを支えてきたお母さんが、癌で急逝される。 この 娘を残していく、母上のご胸中を思わずにいられない。 ご自身の身体変調も 進んで、首から下が完全に麻痺する脳性マヒの二次障害、頸髄症になった。 幸 い手術が成功、身体機能も回復したが、外出は車椅子となる。 「俳句がぼろ ぼろとこぼれ出した」
病む母に林檎を剥いてやれもせず
初めてや秋陽に母のからだ拭く
冷ゆる陰(ほと)われらここより生れたり
秋草や母てふ後ろ盾喪ひぬ
頚椎の打ちひしやぐるまで悲秋
悴む手痺れたる手に触れくるる
術後ひらいた掌が極月の顔撫でる
沈丁に触るるな電動車椅子
セコメントをする