相次ぐ不幸の中で
2007-12-28


 中原徳子さんが俳句を始めたのは26歳の時で、都立光明養護学校の小学5 年のクラス担任だった由里雪二氏が創刊した俳誌『からまつ』に入会、同人と なった。 それから十年たった1994(平成6)年、大きな不幸が次々徳子さん を襲う。 ずっと徳子さんを支えてきたお母さんが、癌で急逝される。 この 娘を残していく、母上のご胸中を思わずにいられない。 ご自身の身体変調も 進んで、首から下が完全に麻痺する脳性マヒの二次障害、頸髄症になった。 幸 い手術が成功、身体機能も回復したが、外出は車椅子となる。 「俳句がぼろ ぼろとこぼれ出した」

 病む母に林檎を剥いてやれもせず

 初めてや秋陽に母のからだ拭く

 冷ゆる陰(ほと)われらここより生れたり

 秋草や母てふ後ろ盾喪ひぬ

 頚椎の打ちひしやぐるまで悲秋

 悴む手痺れたる手に触れくるる

 術後ひらいた掌が極月の顔撫でる

 沈丁に触るるな電動車椅子

[俳句]

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