大河ドラマ『篤姫』始まる
2008-01-08


 大河ドラマ『篤姫』の第一回を見た。 何といっても、幕末は、面白い。 物 語は、天保6(1835)年6月、本家嫡男・島津斉彬(高橋英樹)が分家の一つ、 伊集院郷苗代川の今和泉島津家(当主島津忠剛(長塚京三))にやってくるとこ ろから始まった。 同級生で先日、落語研究会にご一緒した伊集院郁哉君は、 鹿児島に父上の墓がある由だったが、島津家との関係は、どうなのだろう(メ ールモード)。 それと「苗代川」を語りの奈良岡朋子は「なえしろがわ」と読 んでいたが、司馬遼太郎さんの『故郷忘じがたく候』では「なえしろこ」とな っていた記憶がある。

 その天保6(1835)年、10月14日に喜入領主・肝付兼善(榎木孝明)の三 男・尚五郎(のちの小松帯刀)(瑛太)、12月19日に今和泉島津家に於一(お かつ、のちの篤姫・天璋院)(宮崎(立に可)あおい)が誕生することから、物語 は展開する。 1835年の1月10日に、福沢諭吉が誕生しているから、同じ年 かと思ったら、篤姫の於一の12月16日は西暦だと1836年2月5日らしい。  まあ、ほぼ同年の生れである。 於一が指宿山川港でモリソン号を見た天保 8(1837)年7月には、諭吉は父を亡くして大坂から帰郷、もう九州中津をちょ ろちょろ歩いていただろう。 大河ドラマでこの時代をやるなら、今さら言っ ても遅いが、『篤姫』よりも、福沢でやってもらいたかった。 ずっと、大きな 物語になるはずなのに…。

 それはともかく、アフラックのCMで爽やかな印象を持っていた宮崎あおい、 第一回はガラに合っていたが、48歳で死ぬまでを、どう演じるのか、興味深い ところだ。 於一の子役をやった二人の内、大きいほうの子が好演、宮崎あお いにそっくりなのには驚いた。 よく似ている子を探してくるものだ。 英明 といわれた島津斉彬に、高橋英樹というのは、どうだろう。 クイズ番組で見 たせいもあるが…。

[福沢]
[歴史]
[テレビ]

コメント(全1件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット