「グローバル資本主義」と対抗する「俳諧」
2008-11-27


 忘れるほど前に、図書館に予約しておいた松岡正剛さんの『誰も知らない 世 界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』(春秋社、2007年12月)を読 んでいる。 8月に読んだ『17歳のための世界と日本の見方』の続きだ。 エ リザベス一世以降の近代と、中東戦争に至る現代を取り上げている。 この博 覧強記の人の、巨視的な世界のつかみ方が、面白いというか、とても勉強にな る。

 議会、株式会社、ジャーナリズム、小説、産業技術をつくり、近代社会がそ の恩恵に浴しているモデルの多くを発明したイギリスが、これらを世界に撒き 散らすことによって覇権を握った。 植民地を経営し、奴隷を発明し、三角貿 易を定着させた。 これは「イギリスのまちがい」だと、松岡さんは言う。 そ のうちに、このモデルは世界中が擬似的に共有するものとなってしまい、とく にイギリスからの移民によって自立したアメリカが、この覇権を継承すると、 世界中が同一のルールとロールとツールを使うようになっていった、と。

 日本は、明治以降「ネーション・ステート(国民国家)」の仲間入りをするよ うになってから、欧米諸国の「まちがい」まで定着させるようになった。 日 韓併合や満州国の建国はそういう勇み足だった、ナポレオンやビスマルクに憧 れすぎたようだ、と松岡さんはいう。 かつて日本は、中国の社会文化を参考 にして、さまざまな制度や文物を取り入れたけれど、その半分くらいは「日本 という方法」で編集してきた。 「新自由主義の金融工学」「グローバル資本主 義」「アメリカン・リスク・マネジメントの趨勢」に対決できるのは、ひょっと すると、日本人の「小さな変化」を見立てられる力、天変地異をひょいひょい と自然哲学や俳諧にしてしまう才能ではないか、と松岡さんは考えるのだ。

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