福沢諭吉と社会教育
2009-03-30


 28日は、福澤諭吉協会 第105回の土曜セミナーで、米山光儀さんの「社会 教育史の中の慶應義塾」だった。 米山さんについては、「福澤諭吉展」の記念 講演「同床異夢の教育―福澤諭吉と近代日本の教育」を聴いて、2月10日から 4日間の日記に書いた。

 はじめに、最近は「生涯学習」といわれる「社会教育」という言葉について、 きわめて日本的な言葉で、一旦定着したが、今は廃れていく言葉だと説明した。   大学沿革史における「社会教育」をみると、官立学校(例えば東大の『五十年 史』)では触れられることが少ないが、私学では大学の中で培われた知を社会に 還元するユニバーシティーエクステンション(大学拡張、大学開放)が、その 一つの事業として位置づけられる。 早稲田大学の講義録や校外教育部など。  日本で大学拡張運動が弱いといわれるのは、私立学校を見落としている。

 (1)福澤諭吉と社会教育。 1874(明治7)年、三田演説会。 翌年の三 田演説館開館後は、一般公開した。 1878(明治11)年、講義所講義(第1 回 福澤諭吉『文明論之概略』)一般の人は月謝1円、当時は学生が直接福澤の 講義を聴く機会が少なくなっていたから、学生にもよい機会だった。 他にも 講義会。

 福澤は1877(明治10)年11月三田演説会の演説の中で「人間(じんかん) 社会教育」という語を使っている。 「人間社会教育の要は、一事にても人を して早く実(じつ)に当たらしむるに在り」  福澤のもう一つの事業、交詢社の設立も「社会教育」の一つの大きな要素で あった。 1892(明治25)年交詢社大会での演説、「学校を去て社会に出れば 社会の教育あり」、社会学校。

 1877(明治10)年前後の慶應義塾では、学校教育中心主義が取られていな いのではないか。 家庭教育、社会教育を重視した、学校教育相対化の視点の存在が見られる。

[福沢]
[慶應]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット