「紘」はスガモ・プリズンを出た
2009-10-24


 ついでに、もう一つ、古い「短信」で、最近書いたことに関連したのがあっ たのを思い出した。 まだハガキ通信で「広尾短信」といっていた1976(昭和 51)年6月25日の第48号、表題のない頃で、つけけば「「紘」はスガモ・プ リズンを出た」となろうか。 以下に、全文を引く。

 電話で名前を伝えることがある。 中には馬場を知らない人がいるので「馬 鹿の馬に、場末の場」ということにしている。 紘の字は「糸ヘンに片仮名の ナとムを書く」とか、年配の人には「八紘一宇の紘」とかいう。

 「八紘一宇」とは「全世界を一つの家のように統一すること」で、国連の精 神のような結構なものなのだが、大東亜戦争のスローガンに使われたため、戦 後は全く葬られて、田舎の村はずれや成田山の裏山の石碑にわずかに名残りを 留めるばかりとなった。

 昭和26年の「戸籍法施行規則」によって名前に使える漢字は1,942字に制 限された。 この時、当用漢字1,850字をそのまま流用したので、「殺」「汚」 「死」「棺」は名前に使えるのに、「紘」「渚」「梓」「沙」などは使えないという 変なことになった。

 25年後の今回、法務省の増やした命名用漢字28字の一つとして、「紘」は晴 れてスガモ・プリズンを出た。

[等々力短信]
[身辺雑記]
[日本語]

コメント(全1件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット