イトウは、函館でI・Bと別れ、前の雇い主だった植物学者ハリーズのとこ ろにしばらく居なければならなくなる。 母の死で横浜に帰ったところへ、不 思議な手紙が来る。 即刻東京へ行き、市谷監獄に収容されている、古い知り 合いのDを訪ねるようにという。 Dは二年前に、ある殺人事件を起こした。
横浜での少年時代、この女は若くて匂い立つように美しく、路地の奥に顔の ない男と二人で住んでいた。 路地に立っていて、少年たちをからかったもの だった。 おまえ、まだなんだろ。 あたしが教えてあげようか。 川べりに 浮かんだ舟の上で、客を取っていた。 夏の暑い日に川に手ぬぐいを浸して、 女が身体を拭うのを見たことがあった。 Dは小さな声でイトウに、あの川べ りの柳の木陰に、あの人を埋めた、その骨を取ってきて、私の体といっしょに 埋めておくれ、と頼んだ。 その前にDはイトウの顔を見て、おまえ、好きな 女ができたんだね、黙ってないでお話しよ。 好きな女ができたなら、追いか けていってつかまえておあげよ。 それがつかまる恋ならばね、と言う。
Dのその言葉は、イトウに火を付け、I・Bがイギリスに帰国する汽船ヴォル ガ号に、秘かに乗る決意をさせる。 久保耕平が見つけたイトウの手記は、残 念ながら、そこで終わっていた。 伊藤亀吉につながる田中シゲルの母は実は 産みの母で、夫と幼いシゲルを残してイギリスの男とロンドンに渡り、シゲル の異父妹がいた。 ネタばれになるから、この先は書かないけれど、イトウの 手記の続きはイギリスにあったのである。
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