南足柄市の福沢小学校、福沢神社
2010-10-18


 金原左門さんの講演のあと、服部「ネ豊」次郎理事長から関連する話があっ た。 この地域の、現在は南足柄市になっているところに、福沢小学校、福沢 幼稚園、福沢神社、福沢公園など、「福沢」を冠した施設があるというのだ。 明治初年に小田原、箱根周辺に多くの福沢の信奉者がいたことから、村の名に 「福沢」をつけたことが発端らしい。

 大澤輝嘉慶應義塾中等部教諭が『三田評論』2008年12月号に書かれた「慶 應義塾史跡めぐり」第30回「箱根 福住・南足柄 福沢小学校―福澤先生と箱 根開発」に詳しいので、それを紹介する。 ここは昭和31(1955)年に四町 村の合併により南足柄町が誕生するまでは「福沢村」だった。 福沢村は明治 22(1889)年までは千津島村と称していた。 三田の臨済宗龍源寺の住職大島 仁宗(にそう)和尚が、明治9(1876)年、65歳で隠居したのを機に、千津島 村の臨済宗天福寺に住職として移住した。 福沢はたびたびこの寺を訪れ、地 元住民との交流もあり、周辺の山野で狩猟を楽しむこともあった。 町村制施 行の際、合併でできた新しい村を福沢の名をとって「福沢村」と名付けた。

 天福寺境内に現存する千津島観音堂は、明治24(1891)年に再建されたも ので、その時福沢が十円を寄付し、椿を植樹したとされる。 福沢小学校には、 福沢の銅像がある。 福沢神社は、明治42(1909)年に近隣12社の合祀によ ってできたもので、当然ながら、ご神体は福沢先生ではないそうだ。  あの南方熊楠が鎮守の杜が失われると反対運動(「エコロジー」に初めて言及) をした神社合祀は、明治39(1906)年の内務省の勅令で始められ、1906〜1911 年の間に全国の神社はおよそ19万社から13万社にまで減少した。

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