入学50年の大学クラス会
2010-10-28


大学のクラス会も、高校の同期会も、いつの間にか万年幹事ということにな っている。 22日、日比谷のシーボニア・メンズクラブというところで、クラ ス会をやった。 同級生に会員がいて、前回に引き続き使わせてもらったのだ が、行って見て、中日ビルというのは何なのかということがわかった。 「日 本シリーズ進出へ」などという看板が出ている。 クラス会を締める時点で、 2-0で巨人がリードしていた。 その後、2-2の同点になって、家に帰ってから 阿部の意地のホームランを見た。 もう二次会などはない歳なのだ。

われわれの大学入学は昭和35(1960)年、60年安保の年で、入学早々安保 反対の騒動に巻き込まれた。 秋には一転、早慶の六連戦があった。 それで、 前回は病気の話のオン・パレードだったので、今回は日米安保、尖閣列島やレ アアースの日中問題あたりの話でもしようと挨拶して、それぞれのスピーチに 入った。 長く生命保険会社の社長を務め、現役時代は来たくてもなかなか顔 を出せなかったのを、トップバッターに選ぶ。 彼が日本の未来に不安を感じ ていると話したので、一つの流れが出来た。それぞれの年輪を感じさせる多彩 な話題が出て、充実したよい会になったかと思う。

浪人入学組には70歳になっているのがいる。 鼠径ヘルニア(「昔のダッチ ョウだな」と思ったが、言わなかった)の手術をしたら、1割負担だったそう だ。 また高齢者医療費制度が変わり、負担増になることになっているから、 具合の悪い人は今の内に手術をしたほうがいい、と。

集合写真を添付したメールを送ったら、お礼の返信の中にこんなのがあった。

「この会は貴兄が居られなければ、成立し無いわけで、いつまでもご健勝で いていただきたいと思います。みんなが先に行って待っていますので、最後ま でお世話してください。」

[慶應]
[身辺雑記]

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