『孤高 国語学者大野晋の生涯』というこの本が、なぜ『孤高』となっている か、最後に言及しなければならない。 大野晋さんは、橋本進吉教授に科学的 で厳密、厳格な立証や実証を学んだこともあって、自説に絶対の自信を持ち、 「快刀乱麻を断つ」という喧嘩っ早いところがあった。 司馬遼太郎さんは、 学会を敵に回すことも辞さない大野さんを、「先生は、抜き身の刀のような方で すね」と、言ったそうだ。
大野晋さんは、60歳の昭和54(1979)年「日本語はどこからきたのか」の 問題に貴重なヒントを得て研究を始め、日本語の起源が南インドの古代タミル 語にあったとする「日本語タミル語同系論」という仮説を立てる。 二つの言 語には、(1)音韻の対応がある、(2)基礎語を中心に対応する単語が500語近 くある、(3)文法も構造も共通するところがある、(4)助詞、助動詞が対応し、 係り結びの法則にも共通性がある、(5)紀元前200〜400年にできた歌集『サ ンガム』は五七五七七という歌の韻律で、それにならって『万葉集』が編まれ たことが考えられる。 縄文時代の日本では母音が四つで母音終わりの、オー ストロネシア語族の一つと思われる言語が話されていたと推定される。 そこ へ南インドから、稲作や機織という最先端の文明とともに、言語が持ち込まれ て、ヤマトコトバの体系ができた。 その後、紀元4、5世紀に中国から漢字 を学び、それを基に仮名文字をつくり、文字体系を完成させた、と考えるのだ。
80歳の平成12(2000)年に、「日本語タミル語同系論」の集大成となる『日 本語の形成』(岩波書店)を刊行した。 その序文に「私はこの本の序文を書く ときまで生きることができて仕合わせである。私の一生はこの一冊の本を書く ためにあったと思う」と書いた。 大野晋さんは、自らの仮説は七十五年後には学会の定説になる、と話してい たそうだ。
蛇足。 大野晋さんのことを書き、教科書の東京書籍 出版の本なので、2009 年9月11日発行第一刷で、誤植と思われるものを挙げておく。 126頁・超驚 級台風→超弩級台風、172頁・昭和三十六(一九六三)年→昭和三十八(一九 六三)年、昭和四十三(一九六七)年→昭和四十二(一九六七)年、249頁・ 甕館→甕棺。
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