『元気なうちの 辞世の句300選』に、編者の荒木清さんが、「先人たちの辞 世の句」をいくつか紹介している。 その中に、京極杞陽の句があった。
さめぬなりひとたび眠りたる山は
解説に、京極杞陽は数奇な運命をたどっている、と、こんなことが書いてあ る。 杞陽は、兵庫県豊岡藩の十四代当主であったが、関東大震災で家財の一 切と両親・兄弟を亡くしている。 高浜虚子との出会いで俳句に没頭するが、 その温厚な人柄とユーモアで、多くの俳人を惹きつけた。 昭和56(1981) 年、胆石の手術後に、73歳で亡くなったが、香典返しの紫の袱紗に、上の句が 染め抜かれていたそうだ。
荒木清さんは、この句が、虚子の最後の句〈春の山屍(かばね)をうめて空 しかり〉に応える句だといわれていることを紹介し、だとすれば、杞陽は虚子 に仕える思いで、独りこつ虚子の空しい春山に花を咲かせに出かけたというべ きか、と書く。
ほかの「先人たちの辞世の句」から。
しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり 与謝蕪村
人魂で行く気散じや夏の原 葛飾北斎
露草や赤のまんまもなつかしき 泉 鏡花
今生は病む生なりき鳥頭(とりかぶと) 石田波郷
白露や死んでゆく日も帯締めて 三橋鷹女
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