桂米團治「代書」のマクラ
2011-12-01


 米團治は出るなり、前座の柳家おじさん(眼鏡をかけたおじさん顔の)が間違 ってセットした膝隠しを持ち上げて、マイクの外側に置き直した。 わざわざ 上方から呼んで、やらせていただいて、ありがたい。 父親が偉い、桂米朝、 いわゆる御曹司、ぼんぼん、大阪ではアホボンといわれる。 米朝は、大正14 年生れの86歳、来年米寿になる。 三平師匠と比べると、生きているか、死 んでいるかの違いだが、亡くなっている方が楽。 三十三回忌だそうで、正蔵 さんは三十三年間し放題。 私とこは未だに健在で、事務所は米寿の企画をい ろいろ考えているけれど、私は襲名して三年も経っているのに、何の企画もな い。

 一昨年、文化勲章を頂いたけれど、ここだけの話ですが、80過ぎると長い噺 が出来ない。 「隣の家に囲いが出来たよ」「へぇー」というのを、「隣の家に 塀が出来たよ」とやって、こっち(楽屋)の方を向いて、「かっこいい」。 勲章 を頂いた時、付き添いで車椅子を押して行ったが、ここからは入れないという ところがあって、車椅子を押すだけで三十年という係の人がいる。 ちょっと 心配だった、陛下にお会いして「あんた誰」なんて言わないかと。 一年経っ て、12月23日の陛下のお誕生日に招かれる。 電話がかかって来た時、米朝 は昼寝していた。 電話に出て、「何や、ようわかりませんわ」、慌てて代って 話を聞く。 同伴は配偶者のみという、配偶者も要介護。

 先代米團治は、米朝の師匠で、私が生まれる7年前の、昭和26(1951)年に 55歳でなくなっている。 ざこば兄さんが「東京は襲名披露でにぎやかなのに、 うちは葬式ばかりしてる」と私が米朝を継ぐ話をもっていったら、父親が「わ しは今更なにになるんや」という。いろいろあって、五代目米團治を継ぐこと になった。 先代は字が上手くて、落語家のほかに、東成区役所のそばで代書 屋をやっていた。 (「代書」(「代書屋」)は、四代目米團治の創作だそうだ。)

[落語]

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