「沈黙の風景〜松本竣介 ひとりぼっちの闘い〜」
2012-08-21


 私が松本竣介の絵が好きなのを憶えていて、5日放送の「日曜美術館」を録 画したDVDを送って下さった方がいる。 私も、この番組は見た。 「沈黙 の風景〜松本竣介 ひとりぼっちの闘い〜」。 私が生れた太平洋戦争直前の昭 和16(1941)年、軍部は画家たちに「国策のため筆を取れ、戦争画を描け」 と命じ、絵具の配給の制限にまで言及した(美術雑誌『みずゑ』同年1月号座 談会「国防国家と美術―画家は何をなすべきか」)。 ほとんどの画家が戦争画 を描いていった中で、松本竣介はひとり「画家は腹の底まで染みこんだ肉体化 した絵しか描けぬ」(『みずゑ』4月号「生きている画家」)と言い、自分の路線 を変えなかった。 耳が聞こえないため徴兵を免れた松本は、ただ黙々と東京 や横浜の街角をスケッチして歩き、空襲の最中も「爆弾で吹き飛ばされるまで 仕事をするさ」とスケッチを続け、アトリエで油絵の作品に仕上げていたとい う。 五反田付近の橋、ニコライ堂、国会議事堂、そしてY市の橋の連作。 Y 市の橋は旧国鉄横浜駅近く、新田間(あらたま)川にかかる月見橋、後ろに電 車が走っている。 空襲で破壊された後の絵もある。

 私が、松本竣介に惹かれるのは、その静謐さ、孤独感(ある種の暗さ)、リリ シズムだろう。 理知的、都会的で、モダンな感じもある。 街角のスケッチ が、松本竣介の心を通して、大胆なマチエールの上に、透明色を塗り重ねた青 系統や茶系統の画面に、鋭い線描をともなって、再構成されている。

 ちょうど19日付の朝日新聞読書欄「視線」で、美術評論家の北澤憲昭さん がコロナ・ブックス編集部編『松本竣介 線と言葉』(平凡社)を評していた。  松本竣介は「現実がそのまゝで美しかつたなら、絵も文学も生れはしなかつた」 「そして現実生活の一部分にでも共感するものがなかつたなら文章も絵も作ら れはしない」と、書いているそうだ。 北澤憲昭さんは言う、街景をモンター ジュ風に出現させるシリーズを眺めていると、そのままで美しいわけでない現 実を、松本竣介がどのように捉え返そうとしていたかがわかる、そこにはポエ ジーが響きわたっているのだ、と。

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