筒井康隆さんの小説『聖痕』は、周囲を騒がせずにおかないほど美しく生れ ついた葉月貴夫が、五歳の時、そのあまりの美しさのために、職工のように思 える暗緑色の作業服を着て、鼻の周囲だけが陥没したような平面的な顔の男に 襲われるところから、物語が始まる。 有り体に申せば、おちんちんとたまき んをちょん切られて、「すでに絶入している」ところを隣家の初老の主婦に発見 されるわけだ。
たまたま檀一雄の『火宅の人』を読んでいたら、後半の「帰巣者(きそうし ゃ)」の章に、主人公桂一雄が愛人の女優矢島恵子への疑惑に惑溺して、「愛と はいったい何だ」と考えるところがあった。 恵子が馬賊あがりの土建業者に 『痴人の愛』のナオミのように可愛がられていたことがあるという噂話を聞か されたからだ。 そこに、こうあった。 「たとえば、アベラールとエロイーズだって、アベラールが決定的な瞬間に、 男の象徴を失わなかったならば、あのような激越な、持続性のある、観念の恋 愛にまで昂進しなかったろう。彼らは、そのものを失ったから、熱〓(示壽、 ねっとう)のような密封作用に、生涯をゆだねることができたともいえる。」
「アベラールとエロイーズ」を、ご存知だろうか。 私は、知らなかった。 それについては、また、明日。
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