「藤田嗣治 玉砕の戦争画」
2012-09-01


 NHK「日曜美術館」「藤田嗣治 玉砕の戦争画」は、太平洋戦争末期の玉砕の 戦場を描いた二枚の戦争画を扱った。 《アッツ島玉砕》と《サイパン島玉砕 図》である。 実は私、2003(平成15)年12月にこの《アッツ島玉砕》と、 昨日書いた《十二月八日の真珠湾》を、東京国立近代美術館の「あかり:イサ ム・ノグチが作った光の彫刻」展に行った時に、館蔵品の特別展示で見ていた。  その迫力に驚いて、12月22日の日記に「巨大で精密な暗い画面、パリにいて 祖国の運命を思いながら描いた藤田の心境が出ているのだろうか」と、描いた 場所を間違って書いていた。 藤田嗣治は日本にいたのだった。

 《アッツ島玉砕》は、最後の夜襲の状況を描いている。 1943(昭和18) 年5月12日に、このツンドラの島にアメリカ軍が上陸、5月30日守備隊長山 崎保代大佐以下2,638名が玉砕し、軍神として崇められた。 人員、弾薬、食 糧等の支援を要請しなかったことが賞賛されたが、実際には要請があったとい う。

 《サイパン島玉砕図》、1944(昭和19)年6月15日サイパン島にアメリカ 軍が上陸した、この島を確保すれば日本本土へのB29による空襲が可能になる からである。 1か月足らずで、日本軍のほとんど4万人が戦死、在留邦人1 万人と現地人も犠牲になった。 大本営は邦人の自決を賛美した。 藤田は、 アメリカのタイム誌を引用して報道した朝日新聞を参考にして、《サイパン島玉 砕図》を描いたらしい。 非戦闘員が崖から飛び降りる姿も描き込んでいる。

 藤田嗣治の戦争画は、戦意を高揚する初期からのものと、玉砕の悲劇を描い た末期のものとがあったのである。 「日曜美術館」でも、その評価は分かれ た。 画家で作家の司修さんは、あくまでも「プロパガンダの役割を果たした」 と言う。 画家の菊畑茂久馬(もくま)さんは「プロパガンダを超えた名画で、 ある崇高な祈りが生まれてくる、プロパガンダなど屁の河童、突き抜けている」 と語り、画家の野見山暁治さんは「業のような悲惨さ」「引っ張られるかもしれ ない覚悟で描いていた」「反戦的」「命がけ」と話した。

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