「綱吉は十五代で一番よい将軍」
2012-11-13


 次の展開と書いたのは、録画しておいたBS歴史館“シリーズあなたの常識 大逆転(1)”「お犬様騒動 隠された真実〜徳川綱吉は名君だった!?〜」を見 たからだった。 作家の童門冬二、磯田道史茨城大准教授(最近、静岡文化芸 術大学准教授になったらしい)、1975年の大河ドラマ『元禄太平記』で柳沢吉 保を演じたという石坂浩二の出演、渡辺真理の司会だった。

 綱吉の時代の日本に来て、綱吉にも謁見したドイツ人医師エンゲルベルト・ ケンペルは、『廻国奇観』(1712年)に「綱吉は卓越した君主。彼のもとで全国 民が完全に調和して生活している。生活習慣や芸術、道徳の点で、この国の民 は他のあらゆる国の人々を凌駕している」と書いているそうだ。

 ボダルト・ベイリー大妻女子大学教授(“the DOG SHOGUN”という著書が ある)は、綱吉は徳川十五代の将軍の中で一番よい将軍だとして、こう話す。  17世紀、江戸に人口が集中、野犬が増え続け、子供や老人を襲うなど、庶民の 苦しみであった。 綱吉は動物の登録を、世界に先駆けて始めた(ニューヨー クでも犬の登録は19世紀までなかった)。 当時、宿屋で人や牛馬が重病にな ると、外に捨ててしまうというようなことがあった。 綱吉はこれを禁止した。  「生類憐みの令」は犬だけでなく、弱者への憐みの問題だった。 福祉の社会 を作ろうとした(今は当然と思うが、17世紀のことで、これも世界の先駆け)。  捨て子や、間引きが行われていたのに対しては、7歳以下の子供や妊婦も登録 させ、幼い命を守ろうとした。 「生類憐みの令」で人命尊重の社会づくりを するとともに、武士の意識改革を進めた。 役人はcivil servant、文字通り「民 間の召使い」(公僕)であり、「社会の支配者」から「平民の召使い」へ。 綱 吉から官僚制度が進み、その官僚制度の高い発展によって、日本は他のアジア の国と違い近代化が早かった。 安心して暮らせる社会の中で、都市の人口は 増え、経済も活性化した。 華やかで洗練された元禄文化が花開いて行った。

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