『福翁自伝』とアメリカびいき
2013-02-05


 岩波書店の『図書』2月号で、平川祐(示右)弘さんの「『福翁自伝』とオラ ンダの反応(上)」を読んだ。 1934(昭和9)年に清岡暎一訳の『福翁自伝』 “The Autobiography of Fukuzawa Yukichi”が、東京の北星堂とロンドンの W.G.Allen書店から出版された際、翌年の3月24日日曜、オランダ、アムス テルダムの『デ・テレグラーフ』(De Telegraaf)という新聞に長文の書評が載 った。 オランダ語で書かれたためか、今まで紹介されたことのなかったのを、 平川さんが取り上げたのだ。 英国ではその年の1月に、『タイムス文芸付録』 と『マンチェスター・ガーディアン』に書評が出て、その二つは同年4月号の 『三田評論』に日本語訳が掲載されているそうだ。

 『デ・テレグラーフ』の書評の見出しは「一日本人闘士の生涯/福澤諭吉は いかにして彼の祖国に貢献したか/オランダ文化との最初の接触/福澤、新生 日本を語る」となっているそうだが、その記事に触れる前に、『福翁自伝』にい ちはやく注目し紹介した有力外国人として、平川さんが挙げたバジル・ホール・ チェンバレンから始めたい。 チェンバレンといっても、ミュンヘン会談での 譲歩など対独宥和政策を採ったが、後にドイツに宣戦したイギリスの首相アー サー・ネビル・チェンバレンではない。 バジル・ホール・チェンバレン(1850 〜1935)は、イギリスの言語学者、日本学者、みずからはチャンブレンと書き、 王堂と号す、1873(明治6)年来日、86〜90(明治19〜23)年東大で博言学 (言語学)を講じ、近代国語学の樹立に貢献、また東洋比較言語学を開拓した。  著書に『アイノ研究より見たる日本の言語神話及地名』『日本国語提要』『琉球 語文典及び字彙』『日本口語文典』や『古事記』の英訳などがある。

 平川さんは、そのバジル・ホール・チェンバレンが1905(明治38)年に出 た “Things Japanese”『日本事物誌』の第五版に「福澤は自国民を開化する ことを己れの使命とした。それは彼らを東洋主義(オリエンタリズム)から脱 却せしめ欧化すること、というか、より正確には、アメリカ化することであっ た」と述べて『福翁自伝』を明治の日本語作品の最高傑作と呼んでいる、と紹 介している。

 この「アメリカ化」で私は、1月22日に亡くなった服部禮(ネ豊)次郎さん が、『福澤諭吉と門下生たち』(慶應義塾大学出版会)の講演「福澤先生を偲ぶ」 で、こう語っていたのを思い出した。 「先生は二度もアメリカへ行き、そし てアメリカのことはよく知っており、またアメリカびいきでありました。子ど もさんを留学させるときにヨーロッパでなくアメリカへ留学させている。慶應 義塾が大学部を創って、いわゆるお雇い外国人を外国から招くというときも、 アメリカのハーバードから先生を呼んでいる。そのようにアメリカびいきであ りますが、先生は言論のなかではアメリカはいい国だということを非常に慎重 に避けておられます。」 アメリカびいきということになると、共和制がいい、 大統領制がいいのだと、勘ぐられるのを避けて非常に遠回しに遠回しにアメリ カを評価している、「後半生の大活躍の時代においても、一面において大胆奔放 のように見えますけれども、一面において用心深いところもあった人であるの かなと思うのであります。」

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