サンフランシスコ、写真館の娘
2014-04-22


 些細なことだが、朝日新聞「文化の扉 歴史編」の「福沢諭吉」で、もう一 つ気に入らないことがあった。 上部の「おちゃめな諭吉」に、イラスト付き で「初めて米国に渡り、チョンマゲ姿で白人少女を“ナンパ”し、一緒に写真 に納まって周囲に自慢した」とあり、本文にも「実はおちゃめな一面もある。 最初のアメリカ航海では、サンフランシスコで15歳の白人少女を“ナンパ” して一緒に写真に納まり、仲間に自慢している。」とある。 記者はよほど“ナ ンパ”がお好きなようだ。

 『福翁自伝』の扉などに使われる、この有名な写真は、万延元(1860)年サ ンフランシスコのショウ(シュー)写真館で撮影された。 少女はとてもむず かしい顔をしていて、“ナンパ”という言葉とは全く結びつかない。 少女は写 真館の一人娘テオドーラ(愛称ドーラ)12歳と推定できたと、中崎昌雄さん(大 阪大学名誉教授・適塾記念会理事)が『福沢手帖』第93号(平成9(1997) 年6月)に書いている。 中崎さんには『福沢諭吉と写真屋の娘』(大阪大学 出版会・1996年)という著書がある。 この写真は、当時サンフランシスコで 流行していたアンブロタイプの写真で、ガラス板の上にヨウ化銀を含んだ透明 のコロジオン膜をつくり、これをカメラに入れて撮影、現像、定着してから「感 光面を下にして」黒塗り銅板の上において、装飾箱に入れて客に渡した。 ガ ラス板でなく銀メッキ銅板を使うダゲレオタイプとは反対に、光が当たった面 の「裏側」から見ることになり、左右正像に見える、とある。

 2009年の『未来をひらく 福澤諭吉展』の図録では、都倉武之さんが「少女 は(シュー(William Shew))写真館主人の娘、シオドーラ・アリス(Theodora Alice)とされ、福澤が一緒に撮ろうと誘ったという。福澤は羽織を脱いだ着流 し姿で大小の刀も着けていない。現地にすっかりうち解け、その気風を楽しむ 福澤の茶目っ気を伝える資料といえよう。」と書いている。 「ガラス板に像を 焼き付け、裏に黒ニスを塗って白黒反転させる「アンブロタイプ」のもので、 少女の頬と福澤の唇に彩色がなされている」とあり、平成20(2008)年修復 の際、写真板だけを取り外した際の画像という図録の写真でも、その色が見て とれる。

 『福翁自伝』「初めてアメリカに渡る」の章、小見出し「少女の写真」のくだ りを抄出しておく。 ハワイを出帆したその日に、船中の写真を出して見せた。  「お前たちはサンフランシスコに長く逗留していたが、婦人と親しく相並んで 写真を撮るなぞということは出来なかったろう、サアどうだ、朝夕口でばかり 下らないことを言っているが、実行しなければ話にならないじゃないか」と、 大いに冷かしてやった。 これは写真屋の娘で、歳は十五とかいった。 (前 にも行った写真屋に)そのとき私独りで行ったところが娘が居たから「お前さ ん一緒に取ろうではないか」と言うと、アメリカの娘だから何とも思いはしな い。 「取りましょう」と言うて一緒に取ったのである。

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