映画『思い出のマーニー』のプログラムの冒頭、こんなキャッチ・コピーが ある。 「この世には目に見えない魔法の輪がある。/海辺の村の誰も住んで いない湿っ地屋敷。心を閉ざした少女・杏奈の前に現れたのは、青い窓に閉じ 込められた金髪の少女・マーニーだった。/「わたしたちのことは秘密よ、永 久に。」/杏奈の身に次々と起こる不思議な出来事。時を越えた舞踏会。告白の 森。崖の上のサイロの夜。ふたりの少女のひと夏の思い出が結ばれるとき、杏 奈は思いがけない“まるごとの愛”につつまれていく。」/あの入江で、わたし はあなたを待っている。永久に――。/あなたのことが大すき。」
テレビのメーキング番組に、『思い出のマーニー』のポスターが出来た時、そ ばを通りかかった宮崎駿さんが、「金髪じゃなきゃあいいのに」と、つぶやく場 面があった。 もし、名前を麻仁子にし、長い黒髪で、ネグリジェでなく、米 林監督が杏奈に着せた朝顔の浴衣姿、「湿っ地屋敷」も洋館でなく、数寄屋造り の別荘だったら、どうなったろう。 白っぽい朝顔の浴衣といえば、タクシー の運転手が青山墓地で乗せた女が、目的地に着くと消えている定番の怪談の、 女が着ている浴衣だ。
原作を読んで、映画でわからなかった点が、私なりにわかったような気がし た。 以下は、その個人的解釈で、ネタバレになるので、これから映画を観る 人、原作を読む人は、そのつもりで…。
原作では「湿っ地屋敷」にリンゼー一家が越して来て、アンナはその子供た ちと仲良くなって、次第に心を開いていく。 その中で、(アンナがマーニーを 見つめていたように)いつもアンナを見つめていたプリシラ(映画で彩香(さ やか))が、屋敷のマーニーの窓の部屋で、マーニーの日記を発見した。 そこ にはベルギーでは戦争が行われているとあった。 第一次世界大戦だ。
リンゼー家にこの屋敷が売りに出ていることを知らせたギリー、ミス・ベネ ロピー・ギルは老画家で、子供の頃よく、この屋敷に来ていた。 ギリーは日 記を見て、友達だったマーニーやその一家のことを話し出す。 裕福な家だっ たが、マーニーはばあやと二人の女中と、この屋敷にほっておかれることが多 く、彼女等からひどい仕打ちをされていた。 マーニーの父は海軍の軍人で、 戦争でおぼれて死んだ。 母親はとてもきれいな人だったが、ちゃんとしたい いお母さんには見えなかった。 マーニーは遠縁のいとこのエドワードと結婚 し、女の赤ちゃんエズミーが生まれた。 第二次世界大戦が始まり、5、6歳の エズミーは爆撃を避けるためアメリカにやられて、帰って来た時には13歳ぐ らいになっていた。 その間に、エドワードは死に、大きくなっていたエズミ ーは、わがままで独立心が強く、幼い自分を遠くにやった母マーニーを恨み、 二人は打ち解けなかった。 母親に愛されて育っていないマーニーは、母親に 成長できなかったのだ。 エズミーは家出し、ハンサムな男と結婚したが、若 すぎて無責任、赤ん坊が出来たが、すぐ離婚した。 エズミーは、もう一度結 婚したが、二人は新婚旅行中に、自動車事故で亡くなってしまう。
「ふしぎ……、あたしのお母さんも、自動車事故で死んだの…」と、アンナ は言う。 エズミーの赤ん坊の名は、マリアンナだった。 マーニーは、その 子を育てることになったが、エズミー夫婦を事故で亡くしたショックから立ち 直れず、5、6年前に重い病気になって亡くなった。 3歳くらいの子供はホー ムに送られ、2、3年して、ある夫婦に引き取られる。
映画で、杏奈が「おばちゃん」と呼んでいた頼子を、最後に初めて「お母さ ん」と呼ぶシーンには、ちょっとウルッとする。
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