『伝記小泉信三』の刊行と反響
2015-12-11


 平成20(2008)年5月三田キャンパスで「生誕120年記念小泉信三展」が 開催され、図録の編集に関わり、それは翌平成21(2009)年共編『アルバム 小泉信三』(慶應義塾大学出版会)となった。 展覧会では天皇皇后両陛下に、 テニスのブースでご説明し、9階の記念室でのお茶(8名)に陪席した。 両 陛下は、小泉信三先生にお世話になったと、何度もおっしゃった。 皇后さま は、成婚前報道陣に追われて聖心の図書館に逃げ込み、先生に助けられたとか、 カメラマンのカメラを壊したのを、先生に謝ってもらったとか…。 ご成婚50 年ですねの声に、「いえ、51年です」と皇后さまはおっしゃった(軽井沢会テ ニスコートのお二人の出会いは、昭和32(1957)年8月19日)。

 以上のような経緯で、小泉信三先生を近しく感じるようになり、幼稚舎生向 けの伝記を書きたいと考えた。 現在高校3年生になっている3回目の担任の クラス(3期生)が卒業する時、それはいつも家族と生き別れする気分になる のだが、小泉先生の伝記を書くと宣言した。 宣言した以上、やらないわけに はいかない。 幼稚舎生ばかりでなく、学生、若い世代に読んでもらいたいと、 平易にしてルビも振り、保護者や大人の方が読んでも面白いように心掛け、3 年半かかった。 平成26(2014)年6月『伝記小泉信三』(慶應義塾大学出版 会)刊行。 この8月、宮内庁を通じて天皇陛下にも献本できた。

 上の3期生、30歳になっている1期生、社会人2年生の2期生が卒業する 時、小泉信三先生の『海軍主計大尉小泉信吉』にある有名な手紙を読み、コピ ーを配る。 「君の出征に臨んで言って置く。/吾々両親は、完全に君に満足 し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生れ替って妻 を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択 ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親 にこう言わせるより以上の孝行はない。(以下略)」 この「妻」を「仕事」に、 「わが子」を「わがクラス」に替えて読む。

 刊行後の反響は、大先輩からのものが多い。 手紙が6冊のクリアファイル になっている。 若い人からは、少ない。 慶應義塾の体育会には「小泉体育 賞」があるが、体育会の学生でも小泉信三先生を知らず、小泉純一郎だと思っ ているのがいる。 庭球部ではリーグ戦の激励会で、全員に本を贈って、質の 高い感想文が寄せられた。 バスケットボール部や野球部でも配ってくれた。  しかし販売部数は現在1,800部、一桁少ないのではないか、多くの若い塾生に 読んでもらい、小泉信三先生のことを知ってもらいたい。(つづく)

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