『写真集 富岡製糸場』
2017-06-15


 富岡製糸場には、世界遺産に決まる前、富岡市が2007(平成19)年4月に 公開を開始した半年後の10月27日、福澤諭吉協会の旅行で訪れたことがあっ た。 それを富岡製糸場の見学<小人閑居日記 2007. 11.3.>ブログに書いた。

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 ブログを読んでくれた当時の片倉工業社長の岩本謙三さんから、豪華本の『写 真集 富岡製糸場』を頂いていた。 2007(平成19)年8月12日、片倉工業 株式会社発行、上毛新聞社出版局制作、吉田敬子撮影。 改めて今回、その写 真集を見直した。

 「歴史考/文化考」に、今井幹夫富岡市立美術博物館館長の「富岡製糸場の 超近代性とその使命について」があり、その「はじめに」が設立事情をよくま とめているので、引用紹介したい。

 「官営富岡製糸場は、明治5年(1872)10月4日に、石炭を燃料とするフ ランス製の蒸気エンジンと製糸器械によって操業を開始した。ポール・ブリュ ナを首長としたフランス人技術者の指導で稼働した「300人繰り繰糸機」は当 時、世界最大の規模を有する製糸器械で、わが国の近代産業発祥の原点となっ た。

 富岡製糸場設立の背景には安政6年(1859)の横浜開港に伴う生糸の輸出で 大量の粗悪品が出回ったのを正すことと、西欧に劣らない生糸の大量生産や、 外国資本の国内投資を防ぐなど、多様な要因があった。

 これらに対応した明治政府は、直営で富岡製糸工場を設立。時代を超えた近 代的な施設・設備を整え、西欧の製糸技術や管理(検査)の生産組織と工場制 度を導入した。そして全国の「模範伝習工場」として、その役割を果たさせた のである。」

 夜明けの赤い空をバックに、妙義の山並みがブルーグレイに浮び、手前に黒 く富岡製糸場がまだ眠っているかのような写真がある。 「曙光――近代の出 発」と題した、詩のような一文が添えられている。 「城郭でも寺院でもない  消長をくりかえす工業建築のなかで 一世紀余の星霜を超えて動きつづけ 閉 鎖を余儀なくされてもなお 草創のありようをとどめて遺存することに 我々 は瞠目するのである 愛すべきは巨大さである まだこの国が産業革命の洗礼 さえ受けていないころ 西洋の水準を遥かに凌駕する製糸場を創ることに 人 びとは心をかたむけた 近代化への夢というほの明るい光を照射して まだ明 瞭でない国家のかたちを 構造物の大きさに投影しようとしたのである。 奇跡といい偶然という しかしおそらくは時が移ろうともこの建物を 守り 遺したいと願う人びとの想いが 存亡の機に際して凝集し あるいは日常の光 景の中で揺曳(ようえい)し 連綿と受け継がれてきたのではないか 利害や 打算ではない その思いは愛着に似ている」

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