スタチスチク〔昔、書いた福沢26〕
2017-11-17


  等々力短信 第391号 1986(昭和61)年5月15日

             スタチスチク

 丸山真男さんの『「文明論之概略」を読む』(中)を読みながら、福沢諭吉の 文明史の方法を、もう少し詳しく見てみたい。 ある国の文明のレベルを判定 する時、その国全体に「行はるゝ気風」、すなわち「国中一般に分賦せる智徳の 全景」を見なければならないと、福沢は言った。 実際の方法としては、空間 的にできるだけ広く、時間的にできるだけ長く範囲をとって、大量観察をやる。  すると、特殊な事情が消されて、ある一般的法則性が浮かび上がってくる、と 説く。 これは、統計学の考え方だ。

 「西洋の語にてスタチスチクと名づく」統計学は、当時、ヨーロッパでも最 新の学問だったそうだ。 福沢は、T・バックルの『イギリス文明史』から、 それを学んだ。 丸山さんの、原典との精密な読みくらべのお蔭で、この箇所 でも福沢の「意識的意訳」の見事さが、よくわかる。 「ボックル」氏の論と 明言して、福沢は次のように言う。 「一国の人心を一体と為(な)して之れ を見れば、其の働きに定則あること実に驚くに堪へたり」。 犯罪は、個々人の 心の作用だ。 たとえば、人を殺すのは、多くは一時の怒りに発するものだか ら、何の規則性もないようだが、フランス全国といった統計をとってみると、 殺人犯の数が、毎年ほぼ同じ数になるばかりか、その殺害に使った凶器の種類 まで、毎年同じになる。 もっと不思議なのは、自殺者の数だ。 そもそも、 自殺は、他人が命令したり、勧めたり、おどかしたりして、自殺させられると いう性質のものではない。 全く、本人の自発的行為だ。 それが、1846年か ら50年までの間、ロンドンの自殺者数は、多い年で266人、少ない年で213 人であり、平均240人を「定まりの数」にしている、と。

 おそらく福沢は、ここで日本の統計を使って、この議論を補強したかったで あろう。 しかし、残念なことに、データがなかった。 今日、われわれは、 福沢の無念を、いとも簡単に晴らすことができる。 総理府統計局編の昭和58 年(1983)版『日本統計年鑑』によれば、最近のわが国の殺人と自殺の統計は、 つぎの通りである。

        昭和50年  53年  54年 55年 56年 資料

殺人認知件数 2098  1862  1853 1684  1754 警視庁「犯罪統計書」

自殺志望者数19975  20199 20823 20542 20096 厚生省「人口動態統計」

自殺死亡率   18.0   17.6  18.0   17.7  17.1 厚生省「同」人口十万対

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