富田鉄之助東京府知事の三多摩併合
2018-08-16


 「等々力短信」の前身「広尾短信」を始めたばかりの1975(昭和50)年5 月25日、吉野俊彦さんの『忘れられた元日銀総裁 富田鉄之助伝』(東洋経済 新報社・1974)にふれていた。 まだ、ハガキ通信の頃だから、見出しはない。

       広尾短信10 1975.5.25.

 水道をひねって、ふと思うことがある。 先人は便利なものを考え、よく作 っておいてくれたものだと、と。

 前回美濃部さんが大量得票したというので、石原さんが選挙戦の初日に中央 線に乗って出かけた三多摩は、八王子も三鷹も、明治前半まで神奈川県だった ことを知る人は少ない。

 勝海舟門下で長男小鹿の米国留学につきそって渡米し、経済学を修め、外交 官を経て、日銀総裁、東京府知事を務めた富田鉄之助という人物がいた。 明 治24年からの富田の府知事時代、多摩川は上流の三多摩が神奈川県に属し、 水道として使っている東京府では上流の管理の悪さからチフスやコレラが流行 したりしていた。 今でも縄張り問題は大ごとだが、富田は抜身を下げた相模 の壮士にねらわれたりして、命をかけて三多摩の東京府併合に成功し、東京の 水源を確保した。 このことを『忘れられた元日銀総裁 富田鉄之助伝』という 本を書いた吉野俊彦さんの話で知った。

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