文化の護り〔昔、書いた福沢44〕
2019-03-25


   文化の護り<等々力短信 第485号 1989.(平成元年).1.25.>

 昭和から平成へ、元号は変わったけれど、一つの時代が終わったのだという 実感が、まだない。 天皇崩御後の二日間では、平常番組に戻せという苦情が テレビ局に殺到し、ビデオ・ショップが大繁盛というニュースが、印象に残っ た。 たった一日で、禁断症状が出るのだ。 テレビの娯楽番組が、それほど 生活の中に食い込んでいるとは、思わなかった。 インタビューに「今日の繁 栄」とか「国際社会での名誉ある地位」とか答える人が多いのにも、ひっかか った。 本当にそうかいな、と思う。 ビデオが各々の家にあるのが繁栄で、 娯楽番組がないと退屈だから、テープを借りてこようという程度が、名誉ある 国民の文化の水準なのだろうか。 「平成」は「成金を平らげる」とも読むそ うだ。

 若い人だが、皇室関係の番組を見、信任状奉呈のため皇居を訪ねる各国の大 使が、迎えの車に、ほとんど例外なく自動車でなく馬車を選ぶことや、新宮殿 の立派な結構を挙げて、やっぱり皇室のような存在が必要なんですね、成り上 がり者だけじゃあ、どうしようもない、と話した人がいる。 私もそれと同じ 感想を抱きながら、あのテレビを見た。

 日本の伝統文化の擁護者として、いちはやく皇室の存在を考えたのは、福沢 諭吉である。 福沢は『帝室論』(明治15(1882)年)で、維新後の激変の中、 まさに滅亡の危機にさらされている日本固有の諸芸術を保存して、その衰退を 救う役割を、帝室に期待している。 福沢の挙げている諸芸術は、書画、彫刻、 剣槍術、馬術、弓術、柔術、相撲、水泳、諸礼式、音楽、能楽、囲碁将棋、挿 花、茶の湯、薫香、大工左官の術、盆栽植木屋の術、料理割烹の術、蒔絵塗物 の術。織物染物の術、陶器銅器の術、刀剣鍛冶の術などで、いちいち書けない けれど、まだまだ沢山あるだろうと言っている。 福沢の面白いのは、この中 には今日無用のものもあろう、しかし今日無用だからといって、十年、百年、 千年の後に無用かというと、必ずしもそうとはいえない、と考えるところであ る。 そうした無用の芸術の保護には、金がかかる、昔封建の諸侯が金に糸目 をつけずに、芸術を保護してその進歩を助けたように、帝室にその役割を望む からには、第一に資本が必要だろう。 だからまず帝室費を増やすべきだとい う主張は、いかにも福沢らしく実際的で、「帝室の費用は一種特別のものにして、 其公然たるものある可(べ)きは無論なれども、或は自由自在に費して殆ど帳 簿にも記す可らざる程の費目もある可し」などは、実に粋な配慮だと思う。

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