吉村昭さんの『生麦事件』、皆村武一さんの中公新書[昔、書いた福沢171]
2019-12-15


        新旧武器の威力の差<小人閑居日記 2003.4.28.>

 4月18日に生麦事件について書いて以来、吉村昭さんの大冊『生麦事件』 (新潮社)を読んでいた。 5年ほど前の出版時に買ったが、積んどく本にし ていた。 最大の収穫は、新旧武器の威力の差の問題だった。

 この本は生麦事件の発生から、薩長連合による倒幕までを描いている。 薩 摩藩は文久3(1863)年7月2日、生麦事件の下手人の処刑と、死傷者に 対する賠償金を要求して、鹿児島に来航したイギリス艦隊と戦争になった(薩 英戦争)。 それまでに赤間関(下関)を通過する外国艦船を砲撃してきた長州 藩は、翌元治元(1864)年8月5日、英仏蘭米4か国連合艦隊の来襲を受 けた(下関戦争)。 この二つの戦争による実地体験で、薩長両藩は、新旧武器 の威力の差を知った。 外国軍のアームストロング砲など施条式後装鋳鉄砲が 先端の尖った鉄製の砲弾(椎の実弾)で射程距離3.6キロと長いのに対し、 台場の青銅砲からの砲弾は球型で正確に目標に飛ばす飛距離も短く(1キロ弱)、 威力も明らかに椎の実弾より劣っていた。 鉄砲も新式のライフル(施条)銃 と火縄銃では連射のスピードも威力も大きな差があった。 陸戦も経験した長 州は、西洋の陣法の優秀なことも知った。

 この教訓に学んだ薩長両藩は、ただちに近代装備の購入に努め、たまたま南 北戦争が終わって余剰の出ていた武器を大量に輸入することができた。 それ が戊辰戦争で、数の上では圧倒的に優勢な幕府軍に大勝できた要因になったの である。

       「鹿児島の火災」問題<小人閑居日記 2003.4.29.>

 薩英戦争でイギリス軍艦が鹿児島の市街地を焼いたことが問題になった。  ニューヨーク・タイムズは「イギリスの残忍な行為」という社説を掲げて、町 を砲撃して炎上させたのは、なんの罪もない市民の生活を奪ったことは残虐で 非人道的行為だと指摘したという。 今度のイラク戦争の空爆で、しばしば一 般市民の被害が問題になり、先の大戦の空襲(4歳の私も経験した)や広島・ 長崎への原爆はどうだったのかと、考えていたところだったので、興味深かっ た。

 吉村昭さんの『生麦事件』に、パーシウス号が城下町の上町に近づき、火箭 (かせん)をしきりに放って、その一弾が上町向築地海岸の硫黄商薬師忠兵衛 の土蔵に当って、数千俵の硫黄に引火し、強風にあおられて大火になったとあ る。 この「火箭」だが、皆村武一さんの『『ザ・タイムズ』にみる幕末維新』 (中公新書)に「ロケット弾」とあった。 皆村さんの新書には、1864年 2月10日付『ザ・タイムズ』から、この「鹿児島の火災」問題がイギリス下 院議会で論議された経過がくわしく書かれている。 結論をいえば、ブックス トン議員の動議にもとづいて、政府は鹿児島の町を焼いたことに対して遺憾の 意を表明すること、イギリスが鹿児島で行なった攻撃(戦争)は文明国間で戦 争に際して通常守らなければならない義務と政策に違反するものであること、 攻撃を指揮したクーパー提督に個人的に責任があることが、採択されたという。  吉村昭さんの『生麦事件』では「バクストン」の動議は否決された、と結論が 逆になっている。 皆村新書は否決されたのは、ロングフィールドの修正案だ から、ブックストンの動議が採択された、となっている。

         「嘘をつく」こと<小人閑居日記 2003.4.30.>


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