柳亭市馬の「猫忠」上
2020-06-02


 師匠の先代(五代目)小さんは、相対の稽古はほとんどというより、まった くと言っていいほど、してくれなかった。 四代目もその流儀だったと聞く。  入門して二タ月ばかり経って、稽古するぞって言われ、お袋が縫ってくれた浴 衣を何とか着て、座っていると、師匠が剣道の胴着に防具をつけてきて、早く 支度しろ。 稽古といえば剣道で、とうとう差向いの稽古は実現しなかった。 剣道は多少心得があったので、十本の内、二三本は、師匠を打ち込めた。 師 匠を打っても、叱られず、今のは良かった、いい面だった、と最低三日は褒め られる。 兄弟子が見ていて、お前はいいな、師匠を引っ叩いても褒められる、 俺の分も頼むと言った、誰とは申しませんが…。

 踊り、三味線の稽古もしたが、寄席では笛の稽古をして、この会にもつめて いた。 笛は、太神楽の海老一染之助師匠、芸をやる弟の方に教わった、兄の 染太郎師匠が「おめでとうございます」と大きな声を出す。 篠笛(祭囃子の トッピッピというの)と、能管(能楽に使うピーッと高い音の出る)がある。  篠笛の音は出るが、能管は音が出るのに三月はかかる。 三月目にようやく音 が出た。 芸人同士の稽古だから、どこかぞろっぺえな所があった。 寄席は そんな駆け出しで、音が出ても出なくても、頂くものは同じだった。

 天下泰平の頃、職人同士で、一日中仕事ばかりしているのは、仲間内で評判 がよくない。 半日働いて、半日は何か稽古を、男の師匠は駄目、色っぽいい い女の師匠がいいと。 こういうのを経師屋連、師匠を張り合う。 狼連、転 んだら食ってやろうという。 あわよか連、あわよくば、ものにしようという。  蚊弟子と呼ばれた連中で、暑くなると涼みがてらに稽古に行き、涼しくなって くると仕事に出る。 師匠がいい女なら通うが、師匠に男が出来たりすると、 ごっそりいなくなる。

 そこ行くのは次郎さん、今日は稽古日だろ。 あんなもの、やめた。 師匠 が町内に来た頃を、憶えているか、初めて稽古屋をやるからって頼まれたから、 声かけて行くようにしたんだ、今、流行っているのは、俺達のおかげだ。 そ れが何の断りもなく、脂(やに)下がって、昼間から男を引っ張り込んでいる。  そんな所に、行きたくもない。 男? 弁慶橋の常兄ィだ。 常兄ィ、何かの 間違いだろう、常兄ィの所の姐(あね)さんは町内評判の焼餅焼きだ、あの姐 さんがついていて、そんなことをさせるわけがない。 まだ、酒、お膳で、や ってるはずだ、師匠が横でしなだれかかっているんだ。 ちょいと、見に行こ う。

 塀に節穴が二つある。 左がよく見える。 あれは兄ィだ、嘘じゃないんだ な。 冷たい刺身は、体に毒でしょう、なんて言ってる。 口に入れて、温っ たかいやつを、箸を使わずに、兄ィの口に。 兄ィが、美味い、美味いって。  踏ん込んでって、何してやんでえって、言ってやるか。 出来ねえ、兄ィは喧 嘩が強い、二人共のされちゃうよ。 兄ィん家へ行こう、姐さんにたきつけよ う。 姐さんが踏ん込んでって、チャンチャンバラバラとなる。 他人の家が、 もめんのが好きだ、瀬戸物なんか投げて、割れる。 何で、瀬戸物だ? ウチ の兄貴が瀬戸物屋だから、儲かる。


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[落語]

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