信長の自己神格化、ハ見寺建立
2020-07-31


浅見雅一さん訳で、ルイス・フロイス「信長の死について」を読んでみよう。 その構成は、本能寺の変の時、京都にいたカリオンの書翰を二つに分け、その間に安土から逃避行をしたダルメイダの報告を挟んだ形になっている。

まず、織田信長についての基本的説明がある。 そして本能寺の変の直前、イエズス会の史料にしか見られないので、事実であることが疑われてきた、信長が自己神格化を試みたという、以下の話になる。

信長は最晩年に、安土にハ見寺(そうけんじ)を建立して、人々に自らを崇拝させようとした。 彼を大変崇拝し尊敬する者が受ける恩恵と利益は、次の通り。 第一、ここを参詣する裕福な者は、ますますその財産を殖やし、ここを参詣する身分が低く哀れな貧しい者は、この寺院を訪れた恩恵によって裕福になり、子孫を繁栄させるための子どもや跡継ぎを持たない者は、すぐに子孫を持ち、天寿を全うし平和と安寧を享受するであろう。 第二、寿命は八〇歳にまで延び、病気はすぐに全快し、自らの願望、健康、そして平穏を得るであろう。

毎月、予の生誕の日を祝日とし、この寺院の参詣日と定める。 日本中で最も崇拝されている偶像(仏像)を、この寺に集めさせ、神社のご神体の石の代わりに、彼自身が生ける神仏であり、信長以外に宇宙の支配者も自然の創造者もないと述べ、この目的に適う盆山(ぼんさん)という石を、寺院で最も高い場所に、小祭壇を造らせて置いた。

彼はすべての支配国に布告し、全階層の男女が、今年の彼の生まれた第五の月にかの寺院を訪れ、彼が祀った神体を崇拝することを命令した。 諸国から信じられないほどの集団が来た。 信長は、世界の創造主である神にのみ帰すべき信仰と崇拝を自ら横取りしようとして、とてつもなく尊大で無謀になったので、我々の主なる神は、彼が人々の集団を見て浸る満足感が長く続くことをお許しにならなかった。 なぜならば、上記の参詣を実施した安土山の祝祭(1582年6月2日か)から19日を経たとき、これから述べるように、彼の身体は地に灰塵に帰し、霊魂は地獄に深く葬られたのである。

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