『小谷直道 遺稿・追想集』
2020-12-18


 翌年、『小谷直道 遺稿・追想集』が刊行され、それを読んで、こんなことを書いていた。

        『小谷直道 遺稿・追想集』<小人閑居日記 2007. 5.6.>

 昨年の4月22日に亡くなった友人の『小谷直道 遺稿・追想集』が刊行された。 この種の本として不思議だったのは、最後の略歴のところに亡くなった日にちも、原因も書かれていないことと、ご家族による思い出の文章のないことだった。

 小谷直道君は、ずっと読売新聞の記者で、亡くなった時はよみうりランドの社長だったから、追想の書き手には困らない。 読売新聞グループ本社会長・主筆の渡邉恒雄さんをトリ(ここでこの言葉が適当かどうかわからないが、小谷君は高校生の頃から寄席好きだった)に、東京本社社長で慶大新聞時代の先輩でもあると聞いた滝鼻卓雄さん始め、たくさんの読売マンが追想を書いている。

 それを読むと、死の事情が少しわかってくる。 一年半前からガンだった。 宣告を受けたあと、病気を一切口外してはならないと家族に厳命した。 「株式を上場している会社の社長として責任がある」からで、奥さんには「俺も毅然としているから、お前も毅然と振舞え」と言ったという。 読売新聞東京本社特別編集委員の橋本五郎さんの「生粋のコラムニスト」という文章がさすがなのだが、娘さんから受け取った手紙に「父は本望だったのでしょう。命と仕事との選択を迫られた時、父は仕事を取る人間だったと思います」と、あったそうだ。 夫人に対する最後の言葉は、「急に病院に行くので、今日の会合は欠席させてもらう、あさって(月曜)の役員会の進行は会長にお願いして」という会社への業務連絡だったという。

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