「慶應義塾塾歌」の謎、歌詞に込められた意味
2021-10-03


 友人がLINEで、福澤諭吉記念慶應義塾塾史展示館のミニレクチャーシリーズのYouTubeを送ってくれた。 山内慶太さん(看護医療学部教授・福澤研究センター所員)の「『塾歌』の歌詞に込められた意味とは?」である。 「慶應義塾塾歌」、富田正文先生の作詞、信時潔さんの作曲、私の生まれた昭和16(1941)年の1月10日の福澤先生誕生記念会で発表されたのだそうだ。 この「塾歌」、学生時代の行事や神宮球場の応援席で、近年は1月10日の福澤先生誕生記念会で歌ってきた。 いつも慶應義塾のブルー・レッド・ブルーの三色旗を見ながら歌っていたので、一番の「見よ、風に鳴るわが旗を」の「旗」は、てっきりブルー・レッド・ブルーの三色旗だと思い込んでいた。 それが三色旗ではなかったのだ。 何と15歳から福澤先生の生涯にも匹敵する65年にもなるというのに、山内慶太さんのレクチャーを見なければ、知らずに死ぬところだった。 太平洋戦争に向かう昭和15(1940)年の作詞だが、「旗」は「日の丸」でもないと言う。

 慶應義塾塾史展示館の開館記念、第一回企画展は「慶応四年五月十五日 福澤諭吉、ウェーランド経済書講述の日」である(10月9日まで)。 山内慶太さんの「塾歌の謎」は、それに関連するミニレクチャーの一つだった。 富田正文先生は、一番の歌詞を『福翁自伝』「王政維新」の小見出し「上野の戦争」「日本国中ただ慶應義塾のみ」から書いたという。 オランダはナポレオンの欧州兵乱で本国はもとよりインドまで取られて、国旗をあげる場所は世界中で長崎の出島だけになった。 慶應義塾は世の中にいかなる騒動や変乱があっても、日本の洋学のためにはオランダの出島と同様、一日も休業したことがない、洋学の命脈を絶やしたことがないぞよ、この塾のあらんかぎり大日本は世界の文明国だ、と。 「見よ、風に鳴るわが旗を」の「旗」は、この慶應義塾の洋学の旗だったのである。

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