吉田善彦の淡く柔らかな絵に魅入る
2021-11-03


 今日は文化の日である。 新規の感染者数が驚くほど少なくなって、そろそろどこかに出かけたいと思っていたら、『日曜美術館』の「アートシーン」で山種美術館の吉田善彦のきれいな絵を見た。 吉田善彦、恥ずかしながら、知らなかった。 「速水御舟と吉田善彦―師弟による超絶技巧の競演―」(11月7日まで)。 入館日時を予約できるオンラインチケットをもとめて出かけた。 山種美術館、いつもは恵比寿から歩くのだが、渋谷まで行って日赤医療センター行の学バスで、「東4丁目」まで行った。 出出しは渋滞していたが、常盤松の常陸宮邸(昔の東宮仮御所)、青山学院初等部、広尾にいた頃に息子のお宮参りをした氷川神社、國學院大學など懐かしい所を通った。

 山種美術館自慢の宝、速水御舟は置いておいて、吉田善彦(1912(大正元)年−2001(平成13)年)である。 17歳で親戚の御舟に弟子入りして、日本画の基礎や作画姿勢を6年間学んだ後、戦中・戦後は法隆寺金堂壁画の模写事業に参加した。 これらの経験を通じて、吉田善彦は古画の風化した美しさに強い関心を抱き、それに近づくべく、独自の技法の開発に挑んでゆく。

 《桂垣》(1960(昭和35)年)、《大仏殿春雪》(1969(昭和44)年)、《尾瀬三趣 草原の朝・池塘の晝・水辺の夕》(1974(昭和49)年)、《春雪妙義》(1978(昭和53)年)、《春暁阿蘇》(1980(昭和55)年)、大作のどれもが、朦朧体というのか、淡い中間色で、息を〓む美しさだ。

 桂離宮の生垣を描いた屏風《桂垣》だが、この垣根、実は裏側に建仁寺垣があり、その垣に敷地内に生えている淡竹をそのまま引っ張り倒す形で、竹の裏を固定する設えになっているものだそうだ。 左隻は一面の淡竹の葉、右隻は垣根で最上部に淡竹の葉が見える。 「アートシーン」では、この画家の転換点になった作品《桂垣》について、その技法を再現する試みをしていた。 垣根の隙間の部分だ。 和紙(もみ紙(がみ)らしい)を貼った板に、薄い金箔を貼る、その上に和紙を置いて、竹べらなどで擦る。 余分な金箔を刷毛で除くと、金色の線が現れる。 吉田善彦は、その上に色を塗ることで、絵の中に金の輝きを忍ばせた。 すると、内側から柔らかく発光したように、後光が射しているように見えるのだ。

 淡く、柔らかな光を含んだ色彩と、時代によって風化した美しさを、自分の画面の中に閉じ込めようと、吉田善彦が自ら生み出した、このオリジナルな技法は、後に「吉田様式」と呼ばれることになったという。

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