アイディアとチームワーク
2021-12-30


亡くなった渋沢に代って、『日本常民生活絵引』の前がきを、研究グループ「絵巻の会」を代表して書いた有賀喜左衛門は、「絵巻の会」の仕事が渋沢を中心とした同志的結合によって固められていたこと、その芯には学問的で、話ずきで、あけっぴろげな、明るい教養人としての渋沢の持つ無限の人間的魅力があったことを記している。

 『世界伝記大事典』(ほるぷ出版)の「渋沢敬三」の項の末尾に、宮本常一は、渋沢が「多くの人々を結びつける不思議な才能を持っていた」ことを、特に記している。

 『日本常民生活絵引』の序で、長男雅英は「父の仕事は地味であったが、その底には日本の学問や文化の体質を根本的に変えようとする広汎で不退転の企図があった。 祖父青淵の伝統をうけて、父もまた勇敢な開拓の人であった。 『人をつくり、博士をつくり、書物をつくり、日本の文運の片すみではあっても、またそれがはなばなしいものではなくても、少なくともまがいものでない文化の一部を築いたつもりである』と父は遺言の中で述べている。 父の仕事はこれからも、いのちをもってこの国の文運の中で更に生長してゆくにちがいない」といっている。


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