「人がどう死ぬか、人がどう生ききるか」
2022-04-10


 堀川恵子さんのスピーチ、つづき。 「犬養木堂の姿であるとか、立憲制度とは何かという事は、本を書くうえではひとつの重要なテーマです。/ただ、テーマではあるんですが、メッセージではない。私たち書き手が一冊の本を著す時には、表層で現れる事象ではなく、やはりなにかメッセージが必要だと思っています。」

 堀川さんは、テレビのディレクターから表現者としての人生をスタートしたので、物語を作り上げるとき、倉本聰さんの手法を真似てきたという。 まず、最初に壁一面に主要な登場人物、登場人物に影響を与えた人たちの年表を貼っていく。 今回は、壁一面に納まらず、大変な状況になった。 「その数々の年表をじっと見ながら考えたことは、私のこの仕上げようとしている作品は、人がどう死ぬか、人がどう生ききるかが大きなテーマなのではないかと思い至りました。たとえば西郷隆盛、正岡子規、あるいは三浦梧楼、もちろん犬養木堂、その腹心の古島一雄。あえて付け加えるならば私の夫もそうです。」「本当に晩年、命の灯火が尽きようとしているとき、残された時間と引き換えにしてでもやり遂げたいと思うものを持っていることは貴いと思います。最後まで自分の仕事を全うする。その姿を見て、こんな幸せなことはないなと感じました。」「人の最期を書くのは書き手としては覚悟を迫られるものでした。私自身、林の上段の構えで、この本に現れる男たちの骨を拾って歩こうと、そんな思いで執筆に向かいました。/私の夫は肉体は滅びてしまいましたが、なおそういった形で導いてくれた。やはりこの本はまぎれもなく共著であったと感じています。」

 「林はおそらくこの作品を手がけるときに、司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』をかなり強く意識していたと思います。/司馬さんが盛んにこの時代の立憲主義の形というものに触れていらっしゃる。/日露戦争という現場であっても、明治の武人たちは愚直なまでに国際法を遵守しようとします。戦場のさなかに法律に詳しい幕僚を連れ、法律違反の有無を必死に確かめる。/のちに立憲体制を空洞化することになる統帥権も健全に運営されています。あくまで統帥権とは軍部のなかの分業を定めるものであり、大きな枠のなかで憲法の下にあり、そこの道理を崩してはいない。」「私が大好きな武人の大山巌も、この戦争で敗れた場合の責任は自分が取ると公言しております。軍部の責任も明確な形であった。政治家だけではなく、軍人までも憲法のもとで行動を起こすという規範をもっていたのだろうと思うんです。」

 「同時に司馬さんは『坂の上の雲』のなかで、「専制国家は結局もろい」ということばを何度も引用されています。これはセオドア・ルーズベルトの言葉です。皇帝の専制下にあったロシア、一方で必死に立憲国家を目指す日本。勝敗はおのずと後者にあるであろうと、そういう示唆であったと思います。」

 「司馬先生は20年後、この立憲制度を支える柱について、『風塵抄』の「正直」という章で書かれました。結論部分を要約しますと、「立憲というのは、国家機関や政治家が正直であることを基礎としている。明治憲法は国民を成立させ、戦後憲法は個人をつくった。だから個々が正直を失えば日本国は崩壊するし、いわんや公を代表する国家機関や政治家が不正直であれば、それはガラス器具を落とすように壊れるのである」」「犬養らが必死で積み重ねた立憲制度も壊れるときは一瞬でした。その背景には政治家による汚職、疑獄事件などがあり、人心は政治家から離れていたということもあります。」

 「戦後70年以上が過ぎ、改めて振り返りますと、立憲主義は本当に時間がかかり、お金もかかります。とても忍耐を強いられる政治的なプロセスです。」


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