政権交代と『民情一新』、再録
2022-08-24


 2009(平成21)年9月4日のブログに、「政権交代と『民情一新』」というのを書いていた。 それを再録させていただく。

     政権交代と『民情一新』<小人閑居日記 2009. 9.4.>

 本当は円生没後三十年の落語研究会の話を、だらだら書いている場合ではなかった。 その間に、世の中がひっくりかえった。 8月30日の衆議院議員選挙の結果、民主党が単独過半数(241議席)を大幅に上回る308議席を獲得し、政権交代を確実にした。 自民党は119議席、選挙前勢力の3分の1余に激減する惨敗で、1955年以来続いた自民党「第一党」体制も終わった。 政権交代可能な二大政党制を目指して衆議院に小選挙区比例代表並立制が導入されて15年、総選挙で野党が単独で過半数を得て政権が交代するのは戦後初めてだ。

 慶應をほぼ同じ頃に出た小沢一郎さんという人、個人的には好きではないが、その主張していることは、実は福沢諭吉の説いていたことと同じである。 二大政党制による政権交代、官尊民卑の打破、予算の裏付けのある地方分権(地方から始めて中央へ)。 1993(平成5)年に8党連合の細川「非自民」政権をつくったのも、55年体制を脱して政権交代のある政治をつくらないと日本は後れをとる、そのためには小選挙区制だと推進したのも、小沢一郎さんだった。 そして今回、小選挙区制の利点を生かし、選挙戦略の知恵を尽して、民主党を勝利に導いた。

 国会開設の11年も前の明治12(1879)年8月、福沢は『民情一新』を出版した。 その最終、第五章は「今世に於て国安を維持するの法は平穏の間に政権を受授するに在り。英国及び其他の治風を見て知る可し。」である。 イギリス議会の二大政党による円滑な政権交代の事情を紹介、推奨し、どんな政権でも三、四年で国民の間に不平不満を生じるものだから、その時期を誤らずに新旧の交代をする働き(制度)は、機転の妙所というべきだと言っている。 今年は、『民情一新』からちょうど130年、大日本帝国憲法発布(明治22(1889)年)から120年に当たる。

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