タバタニサクタロウキタリ「朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神」展
2022-09-27


 9月16日に、のすたるぢや、萩原朔太郎<等々力短信 第1159号 2022(令和4).9.25.>を発信して、世田谷文学館で10月1日(土)から「月に吠えよ、萩原朔太郎 展」が開催されることを紹介した。 9月25日の朝日新聞朝刊東京版が、同じ10月1日(土)から来年1月22日まで北区田端の田端文士村記念館が「朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神〜タバタニサクタロウキタリ〜」展を開催すると報じた。

 田端周辺は戦前、芥川龍之介ら多くの文士や芸術家たちが集まり、田端文士村と呼ばれた。 室生犀星と萩原朔太郎は、1925(大正14)年ごろ、田端に住み、龍之介とも親交があった。

 この展覧会で、室生犀星が萩原朔太郎を追悼したとされる原稿が公開されるという。 「えらさといふこと」と題された丸善の原稿用紙2枚に書かれた文章で、2年前に同館が古書店から購入したものだが、この原稿をめぐり、ちょっとしたミステリーもあるそうだ。

 朔太郎は1942(昭和17)年に亡くなったが、「萩原がゐなくなっても私はさびしい思ひをしたことがない」と始まる。 様々な出版社が追悼の書籍の出版などについて、犀星に相談に来るので、「僕は萩原の生きた店をひらいてゐるやうなものだね、と言ひ、死後は生前に比して華やかである。」 朔太郎の名声が高まったが、親友の自分は、その立派さに気付けなかったとし、「萩原の全生涯が隙だらけであつたことに、私は納得するやうになつた」「えらさといふことはその親友の間では判りにくいことらしい」と、記している。

 田端文士村記念館によると、この文章、『室生犀星全集』に未収録で、「室生犀星文学年譜」にも記載がない。 犀星が丸善の原稿用紙を使用したのは1945年から63年までの間とされるが、その頃出版された『萩原朔太郎全集』、全集月報、そのほか朔太郎関連の作品でも、確認できなかった。 展示を機会に、この原稿の掲載書籍の情報が寄せられることを、同館は期待しているという。

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