石橋湛山、分権と教育で人を生かす経済
2023-08-19


 最近読んだ新聞で、福沢諭吉の思想に近いと感じた人物の記事が二つあった。 石橋湛山と横井小楠である。

 7月13日、朝日新聞朝刊『交論』「石橋湛山 先見の思想」。 石橋湛山は1884(明治17)年生れ、1911年に東洋経済新報社入社、1921(大正10)年に軍事的膨張を批判し、朝鮮半島や台湾の植民地を放棄する「小日本主義」を敢然と唱え、軽武装の貿易国家をめざす論陣を張った。 戦後は衆院議員に転じ、1956(昭和31)年に自民党総裁として首相になったが、病気のため在職65日で総辞職した。 1973(昭和48)年に死去、没後50年になる。

「石橋湛山 先見の思想」、まず日本近代史研究者の姜克實(ジャンクーシー)さん、1953年中国・天津生れ、文化大革命で下放に遭い、文革後独学で大学進学、83年留学で来日。岡山大学名誉教授、著書に『石橋湛山の思想史的研究』など。 なぜ文革が終わるまで、自分の人生に可能性があると知らなかったのかという疑問から、自由主義を研究したいと思った。 軍国主義を反省した日本に新しい価値観を期待して留学した。 そこで自由主義と個人主義を論じた石橋湛山に出会った。 湛山は、経済の人、人中心の経済を訴え、その経済思想の中心には、個人の能力を生かす思想がある。 領土も資源もない日本が生きるには人間とその頭脳を活用するしかない。 『人中心の産業革命』で、世界恐慌に見舞われた1930年ごろの日本人に、こうすれば生きていけるという理論を示した。 武力で中国に権益を獲得することで生きていこうという帝国主義的な考えが主流だった日本で、そんなものに頼らなくても頭脳と労働力で日本人はメシを食っていけるのだと、湛山は訴える。 現代にも通じる先見の明だと、姜克實さんは言う。

 人中心の経済をつくるには、地方分権、国家の管理を弱め、地方に自治権を渡していくことだ。 地域を振興するにも、権限を与えられれば人は自分の頭で考えるようになり、人間が活発になると主張した。 もう一つは、教育、実業教育を中心に教育の機会を広げ、農業や工業などの知識をみんなが持てるようにしようと言った。 どちらも、個人の可能性を呼びさまそうという提案だった。 外国を侵略して権益を奪う方向ではなく、一人一人の知性を発展させる方向、つまり内在的発展の方向で生きていく道筋を示した。

 国際経済については、自由な国際貿易の大事さを訴え、ブロック経済化に反対した。 戦時下の日本では、中国大陸を含めた経済ブロックを作り、その中で自給自足していこうという考えが幅を利かせていたのだが、湛山は世界と一緒にやっていくことが重要だと訴え続けた。

 湛山の人中心の経済思想は、どのような哲学に裏打ちされていたのか。 欲望を制限しようという考えに支えられていたと思われる。 戦争と統制経済の時代にあって湛山は、自由と個人主義をベースにした資本主義を守るためには、自由主義の持つ負の面を是正していく必要があると考えた。 古典的な自由主義は、人間が欲望のままに行動しても「見えざる手」で経済的均衡が実現されると考えていたのだが、湛山は、それは社会を無視した自由主義であり、結果的に多くの不公正が作り出されると批判した。 極端な利己主義が広がらないように規制をかけ、社会事業に国家予算をつぎ込むことで社会と経済の運営を公正にする。 それを湛山は、自由放任の弊害を是正する「新しい自由主義」として提唱した。 「小日本主義」も、海外に膨張するのではなく与えられた場所で活躍すべきだという思想だった。 人は過大な欲望を持つべきでないという哲学がうかがえる、と姜克實さんは語っている。

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