「そのときがくるまで精々人生を愉しもう」
2023-12-04


 社長の与田は温厚な人だが、中身は結構な情熱家で、佳いものとみれば採算を度外視したり、貧しい作家に肩入れしたりすることもあった。 昼日中からクニオを飲み屋へ誘ってこんな話をした。 「人間なんてのはなにを食って生きるかで人生が決まる、文学は栄養たっぷりのご馳走だよ、ところが味見もしないやつがごまんといる、彼らの言い訳はそんなことより生活があるから、腹の足しにならないから、他人の考えに振りまわされたくないからといったところだろう、冗談じゃない、だったらそれで食ってる俺たちは馬鹿そのものか、違うよな、それで食えるってことはとんでもなく幸せなんだよ」

 与田社長が、著名な老作家の随想録の刊行を決めてきて、クニオに「この本は君に任せる、性根を据えて作れ」と。 随想の中に潜んでいるであろう作家独自の方程式を発見できたら、それは日本文学の底流を覗き見ることでもあった。 後日、クニオは母真知子にその作家と会った話をして、「随想録を読めば分かるけど、彼も相当苦労している、というかそういう星の下に生れた人でね、よくまあここまで上りつめたと思う、ほんの一歩踏み外していたら、まったく別の人生になっていただろうから」、「その危なっかしい瞬間にある選択肢はふたつぐらいという気がする、伸るか反るか、一か八か、右か左かと言った決断を迫られる状況で常に本道を選んできたのが三浦という人だろう」と。 随想録を出すことで古い自分と決別するであろう彼は、これから掌編や短編の世界で最高の三浦文学を生んでゆくに違いなかった。

 三浦が胃の半分を取る手術をして、社長とクニオを呼び、自分が死んだら全作品を泉社で管理してほしいと申し出た。 先に逝く人間の権利として自分を生ききろうとしているようであった。

 クニオが食道から噴門にかけての末期癌になり、退職することにして、早朝私物を片づけていると、先輩の女子社員の白川千鶴が来て手伝ってくれ、言った、「なあクニオ、過剰に悲観するなよ」。

 引退していた与田が見舞の電話をくれて、「実は私も癌らしい、遠からずあの世で会うことになりそうだな」と、常の調子で明るく言った。 病魔はいつ誰に寄ってくるか知れない魔物であったが、同時期に与田に取りついたことに奇妙な安堵を覚えてもいた。 人間は勝手で、自分と似たような不幸にある人を歓迎するらしかった。 「まあ、そのときがくるまで精々人生を愉しもう、私の結論はそんなところだ」 「同感です」

 場末のバーで、色っぽい女から聞いた言葉を、クニオは不意に思い出して口の中でなぞってみた。 「人は生まれて、生きて、死ぬ、生きて≠ェ大事よねえ」

[文芸]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット