14日の「パクス カンターレ 歌と平和の物語」。 イタリアには、「カンターレ、歌を歌えば全てがうまくいく」という諺がある。 イタリア南部のソヴェレートという小さな村に、ギターかマンドリンのような楽器を弾いて歌を歌うカリフスティヌスという名のデュオがいる。 古い四線譜の、「あの時、愛の鎖につながれた」などという恋の歌を歌う。
十字軍の時代、奇跡の平和を成し遂げた一人の皇帝がいた。 昨日見た、フェデリコ2世だ。 100年以上続く十字軍の戦いで、フェデリコ2世は、イスラム側のアル=カーミルと戦っていた。 アル=カーミルは、捕虜を保護したり、キリスト教徒と対話を試みるような人物だった。 フェデリコ2世は、教養ある人物で、対話に応じ、三年にわたって手紙を送り合った。 皇帝は手紙で、哲学、地学、数学の問題を出し、それにアル=カーミルが丁寧に答えたりしている。 遊びと笑いと礼節ある関係が築かれた。 1229年講和条約が結ばれ、10年間の平和がもたらされた。 エルサレムの、キリスト教の聖地はキリスト教徒に、イスラム教の聖地はイスラム教徒に委ねられることになった。
ヨーロッパにアラブの文化が流入し、音楽が流れる。 歌詞は、それまでの吟遊詩人の文語ではなく当時の話し言葉、口語で書かれるようになった。 中世のポップミュージック。 それはイタリアのいろいろな芸術の原点となり、100年後文学の世界でもダンテの『神曲』は話し言葉で書かれている。 人間中心の世界観は、近代の扉を開き、ルネサンスの礎となった。
フェデリコ2世は、カステル・デル・モンテ、八角形で八つの塔を持つ、戦う機能のない城を建てている。 エルサレムのイスラム教の聖地「岩のドーム」の八角形を模して、両者の平和の象徴として建てたのではないか、といわれている。
結論、地位や戦の勝利よりも、愛の歌を歌えばすべてがうまくいき、平和になると、歴史が教えてくれた。
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