廓は昭和33年4月1日になくなった、親の命日は忘れても、その日は忘れない。 国会でおばさんが「そんなものはいらない」と叫んだけれど、おばさんは女だから、いらない。 「廻し」は、上方にはない。 一人の遊女が一晩で何人もの客をとる、お酉様の晩など、六人も七人も客をとった。 江戸は男が多く、女が少なかった。 客を振る、振られる客は、金を払って対象が来ないんだから、詐欺商法みたいなものだ。 廓は男を磨く場所だというんで、ぐっと我慢するんだけれど、腹が立つ。 食堂で食券を買って、待っていると、閉店だというのと同じで、腹が立つ。
「三日月振(ぶ)り」というのは、宵にちらりと見たばかり。 おしっこに行って、帰ってこない。 「新月振り」は、まるで顔を出さない。 「居振り」は、来ることは来るけれど、そばに居るだけで、何もさせてもらえない。 おいらんは向うを向いて寝ている。 こっちの方が身勝手がいいなどと言う。 じゃあ、そっちへ行こうかと言うと、こっちには箪笥がある、中の物がなくなるから、と行けない。 お腹が痛い、と寝ているから、征清丹をお金の上にのせて差し出す。 薬を飲んで、よく効く薬だと喜んで、向う向きに寝る。 今のお盆だけ、返してくれ、となる。
煙草は切れる、灯は消える、だけどまあ、命には別状はない。 今日は登楼(あが)るつもりはなかったんだ。 もろ振られた。 昨夜(ゆんべ)、河童にケツを噛みつかれる夢を見た。 隣は、うるせえな、宵からペチャペチャしゃべりやがって。 お隣、お静かに願います、こちらには独りもんがいるんです。 そんなとこ、くすぐっちゃ嫌よ。 頭と足をむすんじゃうよ。
いたずら書きがある。 「この楼(うち)は、牛と狐のなき別れ、もうこんこん」、うまいな。 宵勘(よいかん)と来てら、金3円65銭也、高いな、襟巻買っときゃあよかった。 弥助(やすけ、寿司)つまんだが、握りと握りの間が一寸五分、マグロが一つあって、食いたかったが、遣り手のおばさんがパクッと食っちまいやがった。 馬鹿馬鹿しいな。 こうしてみると、かみさんは有難い、廻しがなくて、金を取らない。 寝よう、寝よう。
梯子段を上る音がする、間夫(まぶ)は引け過ぎというからな。 パタパタ、パタパタ、行っちゃった。 胸がドキドキしたよ。 パターリ、パターリ、寝たふりをしていてやろう、起きていると、甚助(情が深く嫉妬深い性質、『広辞苑』)じみていけない。 寝顔を見せると、人がおびえる、と言われた。 目を開いて、いびきをかくか。 銭と気を遣う。 ごめん下さいまし。 若え衆か。 お寂しゅうございましょう。 悔やみを言うな。 今晩は立て込んでおりまして、程なくお廻りになりますので、お楽しみに。 ポンツク言うような男じゃねえが、さっぱりし過ぎだ、黄瀬川に言え、廊下でケツでも振っとけ、と言っとけ。
もっと人間らしいのを呼んで来い。 私は人間らしくないと? 出来のいい猿だ。 寝ず番と申しまして、代わる訳にいかない、吉原の法、これ即ち廓法(かくほう)でして。 この切り落とし野郎! 切り落とし野郎とは、何で? 妓夫(ぎゅう、牛)の屑だからだ。 こちとら三つの時から婆さんに手を引かれて、吉原に来ていらあ。 ずいぶんお若い時から。 吉原のそれぞれの町や通り、また故事来歴、元和3年3月3日、幕府が庄司甚右衛門の願い出を許可して、葺屋町の葦の原から浅草に越してキチゲン、吉原となり、本来は新吉原と言わなきゃあならねえことや、夫々のおでん屋のデエコンの煮方まで知っているんだ。 頭から塩振って、食っちまうぞ。
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