1875(明治8)年の『文明論之概略』では、進歩史観が見られる。 中国(清)やイギリス、ロシアとの対内的、対外的関係で、日本の存立が危ぶまれる。 日本は半開で、文明の精神が必要だ、文明国になる必要を説いた。 単に有形の制度や物質にとどまらず、無形のもの、すなわち国民全体の智徳の進歩が伴わなければならないという、文明の主義を主張した。 一身独立して一国独立、一国独立のためには一身独立が必要だ。
『民情一新』の第5章は「国会論」、イギリス式議院内閣制の導入と、大政党による政権交代の必要を説くため、先行して『郵便報知新聞』に藤田茂吉と箕浦勝人の名前で出した。 先行研究では、この「国会論」によって『民情一新』を政治論にしていて、19世紀文明論が正当に評価されないことになっている。 1870年代後半、慶應義塾は経営危機の時期にあり、福沢は新しい文明論を早く知らしめたいと、短期間で執筆した。 1870年代後半の世界は、外交関係が穏やかで、独立についての危機感がなかった。 一方、国内は大混乱、自由民権運動の激化、士族の反乱があり、政府は復古主義的傾向を強めていた。 それに対し、福沢は自分の言葉で書き下ろした『民情一新』を自信作だとして、留学中の一太郎、捨次郎への手紙で(明治17年1月16日付、書簡集第4巻書簡番号824)、『民情一新』を送り、英訳して新聞に投書し、さらに英語版まで出そうと考えている。 記念碑的著作なので、(1)外国人の日本事情の認識、(2)日本の学者の思想を英語で表現、(3)日本の学問の国際化を図りたい、と手紙に書いている。
『民情一新』の第3章は、「蒸気船車、電信、印刷、郵便の四者は、1800年代の発明工夫にして、社会の心情を変動するの利器なり」。 技術革新が歴史の進歩の原動力で、人間内部の精神まで動かす。 『民情一新』の序文は文明論で、蒸気の発明、科学技術の発展によって、19世紀は違う時代なんだと説く。 『文明論之概略』で説いた無形の文明の精神から、有形の実物、科学技術の方が重要なんだと、考え方が変わっている。 郵便印刷は、情報通信の手段、思想通達の利器。 インフラの重要性、とりわけ鉄道が大切だとする。 電信は、西南戦争で全国的なネットワークが出来たことを、高く評価。 新聞は人間交際の手段、前年に178紙あり、全国に広まった。 『西洋事情』が現実になっている。 文明の利器とともに、社会が進む、日本の将来は明るい。
「智徳」、智は学びて進むもの。 知恵には教え、教育が重要。 『文明論之概略』のインテレクトから、『民情一新』はインフォルメーション。 知恵こそが文明の精神で、蓄積される。 科学技術は、知恵の結晶。
西洋はもはや標準にするにあたらない。 日本は自らの道を進まなければならない、自立の必要性。 『民情一新』は、科学技術を組み込んだ『文明論之概略』。 「文明論」の到達点、後期福沢の出発点。
2001年に、e-Japanイージャパン構想というのがあった。 日本政府が掲げた日本型IT社会の実現を目指す構想。 しかし、日本のデジタル化は遅遅として進まない。 2023年のデジタル貿易の赤字は5兆3千億円、物の貿易赤字に匹敵する。 生成AIのツールで福沢研究を進めるような、未来に向けた知的環境をつくっていくことを、福沢は望んでいるのではないか。
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