2007年というと、もう20年近く前になるが、「牧野伸顕・吉田茂・武見太郎」「太平洋戦争の遠因「統帥権の独立」」を書いていたので、再録する。 ここにある「今度の短信」というのは、2007(平成19)年9月25日の「等々力短信」第979号「保阪正康さんの皇室論」で、「そこで保阪さんが展開するのが、雅子妃が理想とすべきは大正天皇妃の貞明皇后だという論である。 貞明皇后は社会の動きや人情の機微にふれ、きわめて鋭敏な歴史感覚を持ち、自らの意思を通す強い性格を持っていた。 大正天皇のご病気がはっきりした大正10年代、その重い責任を自覚して、政治家・原敬、宮廷官僚・牧野伸顕、元老・西園寺公望、東宮大夫・珍田捨己という人物達を、自らの股肱の臣として信頼を寄せ、彼等とともに「大正天皇から摂政宮」という天皇像を確立していった。 実際には「女性天皇」の時代ともいうべき社会空間が出来上がっていた、というのだ。」
牧野伸顕・吉田茂・武見太郎<小人閑居日記 2007.9.27.>
ほとんど麻生太郎さんで決まりといわれていたのを、二日前から知っていたと、ポロッとしゃべったために(クーデター説も影響したか)、福田康夫さんにさらわれてしまった。 政治の世界、一寸先は闇だ。 今度の短信に牧野伸顕が出てきたので、その麻生さんの姻戚関係を整理してみた。(以下、敬称略)
牧野伸顕(1861〜1949・のぶあき、しんけんの方が通りがいい)は、大久保利通の次男(ウィキペディアだと三男)。 官界に入り、文相、農相、外相、宮内大臣、内大臣を歴任。 伯爵。 政界に隠然たる勢力を持つが、2・26事件では親英米派として襲われる。 吉田茂(1878〜1967)は娘(雪子)婿。 吉田茂の娘、和子は麻生太賀吉と結婚、太郎、泰(ゆたか)、雪子、旦子、信子が生まれた。 その太郎が麻生太郎であり、信子は三笠宮寛仁親王に嫁して、彬子女王、瑶子女王がある。
牧野伸顕と妻・峰子(三島通庸の娘)の間には、雪子のほかに利武子があり、秋月種英に嫁し、その娘・英子が武見太郎(日本医師会会長)と結婚した。 武見太郎の息子が武見敬三議員、娘の和子が麻生泰(株式会社麻生(セメント)社長)に嫁している。
牧野伸顕、吉田茂、武見太郎の姻戚関係は、戦後、高橋誠一郎教授が「帝室論」を媒介として文部大臣に就任する際に、働くことになる。
太平洋戦争の遠因「統帥権の独立」<小人閑居日記 2007.9.28.>
武見太郎さんの『戦前 戦中 戦後』(1982年・講談社)を再読していたら、牧野伸顕が、軍部をのさばらせた原因は、帝国憲法の「統帥権の独立」にあったと常に述懐していた、と書いてあった。 のちに司馬遼太郎さんが太平洋戦争の原因として考えた「統帥権」である。 武見太郎さんは、妻の祖父にあたる牧野伸顕が、日本の勃興から敗戦に至る90年の波瀾の生涯に、とにかく問題の本質をつかまえた元老として、大きな存在であったと思う、という。
その牧野の述懐というのは、つぎのようなものである。 大久保利通は、最初の日本憲法の草案者であるけれども、彼は統帥権の独立を認めなかった。 陸軍の総帥山県有朋元帥が執拗に統帥権の独立を要求したけれど、大久保利通はこれを拒否して譲らなかった。 そのうちに大久保が凶刃に斃れて、伊藤博文が憲法草案を担当することになり、伊藤が山県に負けてしまって統帥権の独立を許した。 これが後に、軍閥をのさばらせ、第二次世界大戦につながる大きな原因になったのである。
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