福澤、情報はお金になると気づき、需要を読む
2026-10-14


三宅香帆さんの新潮社『波』連載「福澤諭吉をよみなおす」、9月号の第3回「幕末、饒舌は武器にならなかった」を、この日記の9月1日「福沢諭吉と慶應義塾「社中」の由来」に、7月号の第1回「動画の時代に読み直す福澤諭吉」を、9月2日の「「演説」喋りで他人を説得するメディア、相手に伝わる「文体」」、8月号の第2回「なぜ福澤諭吉の書く本は売れたのか?」を、9月3日の「福澤、世間より個人が大切、時代の潮流に乗る」に書いて来た。 たまたま、三宅香帆さんがNHKの『スイッチ・インタビュー』で、大相撲の湊川親方(元大関・貴景勝)と対談しているのを見たので、10月号の第4回「きっと儲かる翻訳のススメ」を読むことにしたい。

1. 福澤父の働いていると本が読めない日々。 福澤のいた中津藩は、江戸後期、換金性の高いコメ以外のものを作る貨幣経済への変化に乗り切れず、譜代藩ののんきさがたたったのか、借金が多かった。 朝ドラ『あさが来た』で有名な豪商・加島屋(廣岡家)に、どれだけの融資を求めたかの記録が残っている。 中津藩の平均収入は1年間に米14万俵、平均支出が24万俵だったらしい。 10万俵の赤字に、借入金が約29万6537両・利子付き、とんだ大赤字藩である。 大坂蔵屋敷に詰めて、財務担当役人、借金工面の係だったのが、福澤の父だった。 もともと漢学者で、本が好きだったのに、大坂商人の番頭の接待飲み会やら、働いてばかりで本が読めない。 結局、福澤が3歳の時に亡くなった。

一家で中津に帰るが、大坂の自由で経済の匂いのする空気は、福澤家に漂っていて、中津では身分制度に嫌な思いをすることが多々あった。 士農工商の役割分担がはっきりしていて、武士が稼ぐことを軽蔑していた江戸時代に、福澤は幼少期に是から先き何になる積りかと兄に聞かれて、「先ず日本一の大金持になって思うさま金を使うて見ようと思います」と答えた。

2. 需要を読むのだ。 中津から長崎へ蘭学を学びに出て、山本物次郎という砲術家の家に住み込んだ。 時代はペリーの黒船のうわさが日本中を駆け巡っていた。 眼病を患う先生の身のまわりの世話から何から何でもこなして可愛がられる。 そのうちに、砲術関係の書籍の「写本」が儲かることに気づく。 山本家秘伝の本を写し、貸す時は高額のレンタル料を取った。 福沢はオプションに、大砲の図面を引いて、図入りでわかりやすく砲術の講義をし、出島オランダ屋敷に行きたい人のアテンドをした。 山本家に1年もいないうちに、砲術のプロみたいな顔をして他藩の役人に講義していたのかと、ツッコミを入れたくなるが、おそらくこの時「需要に合った情報を伝えれば人はお金を払ってくれる」ことにも、気付いたのだろう。

山本家を出た福澤は、生涯の師・大坂の緒方洪庵のもとで学ぶことになる。 洪庵の適塾でも、学費が払えなかった福澤は、中津藩の家老の息子から借りて密かに写本を作っていたオランダ要塞造営の書籍を訳して渡す、ということで学費の代わりにしていた(『福翁自伝』)。 情報はお金になる、ということである。

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