漱石と福沢、その関係について、どこかに書いたことがあったな、と思った。 半藤一利さんの説を引いたような気がして、日記を「半藤一利」で検索してい る内に、それは司馬遼太郎さんの説で「等々力短信」だったことを、思い出し た。 書いた本人が忘れているのだから、読者なら余計そうだろうと、これも 引用しておく。 2000(平成12)年11月5日の「等々力短信」第894号「漱 石と諭吉」の後半部分だ。
司馬遼太郎さんは、天才夏目漱石の出現によって、大工道具ならノコギリに もカンナにもノミにもなる「文章日本語」ができあがったという持論を展開し た。 漱石の文章を真似れば、高度な文学論も書けるし、自分のノイローゼ症 状についてこまかく語ることができ、さらには女性の魅力やその日常生活を描 写することもできるというのだ。 『司馬遼太郎全集』月報に書いた「言語に ついての感想(五)」(文春文庫『この国のかたち 六』所収)の中で、司馬さ んはその漱石以前に、新しい「文章日本語」の成熟のための影響力をもった存 在として、福沢諭吉の文章をあげる。 とくに『福翁自伝』を、明晰さにユー モアが加わり、さらには精神のいきいきした働きが文章の随処に光っている、 という。 ただ福沢の時代のひとたちの、事柄を長しゃべりするとき、つい七 五調になってしまう伝統の気配が『福翁自伝』にも匂い、そのため内容の重さ にくらべて、文体がやや軽忽(きょうこつ=かるはずみ)になっていると指摘 する。 「しかし『福翁自伝』によって知的軽忽さを楽しんだあと、すぐ漱石 の『坊ちやん』を読むと、響きとして同じ独奏を聴いている感じがしないでも ない。 偶然なのか、影響があったのか。 私は論証なしに、あったと思いたい」 と、司馬さんは書いている。
漱石の蔵書中に福沢の著作があったかどうか、『坊ちやん』に『福翁自伝』の 影響があるのかなど、両者の関係を研究してくれる人はいないだろうか。 (引用終り)
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