「蝌蚪(かと)」と「豆の花」の句会
2013-04-20


 11日は『夏潮』渋谷句会だった。 兼題は「蝌蚪(かと)」オタマジャクシ、 と「豆の花」。 私は、つぎの七句を出した。

芭蕉庵隅の小池に蝌蚪の紐

八ッ橋の下で押し合ふ蝌蚪の群

合唱す集団就職蝌蚪の歌

鷺草園お玉杓子の天下なり

島通ふ船を上がれば豆の花

燈台へ一本道や豆の花

材木座浜への路地に豆の花

私が選句したのは、つぎの七句。

へろへろと蝌蚪の伝令潜りゆく       英

あれほどのお玉杓子が一匹に        耕一

ランドセルてんでに置かれ蝌蚪の池     淳子

蝌蚪の紐一人覗けば皆覗く         松子

眠くなるやうな日射しや豆の花       さえ

夕暮の豆の花咲くおもてなし        幸雄

午後の便待つ桟橋や豆の花         裕子

 私の結果は、今月も鳴かず飛ばず、<八ッ橋の下で押し合ふ蝌蚪の群>を英 主宰が、<燈台へ一本道や豆の花>をやすしさんが採ってくれ、主宰選1、互 選1の2票にとどまった。 主宰は<八ッ橋>の句を、菖蒲田であろう、八ッ 橋の下の水たまりにお玉杓子が群れている、これから菖蒲の本番を迎えて、よ そ行きの顔になる菖蒲田、と評して下さった。

 主催の総評。 題詠でつくるのは、避けて通れない試練。 句会は、二十対 一の、総合的な教育の場である。 「何を思うのか」が問われる、いろいろな 景色、沢山の記憶のファイルを繰って…。 吟行などの現場で、季題をじっと 見ているか、句になるものを見ているか。 そして、憶えておくべきエッセン スに辿りつくように、記憶の紐を引っ張り出す、たぐる。 結局、時間をかけ て、どのくらい現物を観察しているかに、かかってくる。

 鳴かず飛ばずが続いても、落ち込まなくなったのは、年を取って、感じなく なったからだろうか。 昔、渋亭・渋沢秀雄さんは久保田万太郎を宗匠とする 「いとう句会」で、月並みな謙遜の意味もこめて、「俳句なんて、いくらやって も進歩しないものですね」と述懐したら、万太郎先生ニコリともせずに「いえ、 あなたの場合は退歩しております」と言った。 以来、退歩派を名乗ったとい う。 退歩派のしんがりに、つらなることにするか。

[俳句]
[身辺雑記]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット