14日、福澤諭吉協会の土曜セミナーで、宮地正人東大名誉教授の「福澤の脱 亜論をどう考えるか」が終わった時、曽野洋さんに声をかけられ、挨拶をして 頂いた。 曽野洋さんは、ちょうど一年前の土曜セミナーで、「福澤諭吉の紀州 人脈―教育ベンチャーの時代―」という講演をなさった。 四天王寺大学教育 学部教授で、慶應義塾福澤研究センターの客員所員でもある。 その講演の話 は、この日記に9月22日から26日まで、5回にわたって書いている。 曽野 さんが、その最初に引いた、私が『福澤手帖』111号に書かせてもらった2001 (平成13)年10月の協会の福沢史蹟見学会での「和歌山・高野山・白浜を訪 ねる」旅の参加記を、参考になったと言って下さったのは、嬉しかった。
福沢研究、紀州史研究、教員養成がライフワークだという曽野洋教授は、そ の後、慶應義塾大学弁論部エルゴー会会誌『ERGO』No.44(2013年4月刊) 掲載の講演要旨を送って下さった。 題して「内側から見た教員養成の展望」、 2012年5月26日三田演説館で行われた。
その中に、私のまったく知らなかったことが、出て来たので、ご紹介したい。 日本の教員養成の現状、これからの教員養成―2大論点(教職大学院、教員免 許更新制度)について述べたあと、曽野洋さんは最後に慶應義塾への提言をし ていた。 明治時代、全国各地の中等諸学校(旧制中学や師範学校など)の教 壇に立った塾員数は驚くほどで、明治期の教育界をリードした勢力のひとつは 明らかに、福沢門下だった。 その明治時代の教員養成史における慶應義塾の 絶大な存在感にくらべ、現在の状況はどうだろう。 三田キャンパスにある教 職課程センターの資料によれば、学校教員になる塾生の数は非常に少ない。 教 育界における義塾の位置は、大学教授の世界を除けば、極めて低いものである。 早稲田のような教員養成に特化した教育学部を、義塾は持っていない。 した がって、慶應では小学校教員の免許が取得できない。 慶應幼稚舎や横浜にで きる新小学校(横浜初等部、2013年4月に開校した)の教員を、慶應義塾大学 では自前で養成できないのだ。
そして曽野教授は結論する、「皆さん、このままでいいのでしょうか。塾祖で ある福沢諭吉先生の、教育界における足跡を考えあわせると、やはり慶應義塾 大学のなかに今こそ、幼小中高等学校の教員養成のみならず、これからますま すニーズが高まる保育士養成も視野に入れた、新学部を起ち上げる必要がある、 と私は考えます。」
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